こんばんは。トラウマについて書いてみたいと思います!

 自分が抱えるトラウマは明確だと思った。虐待そして母へのDVを6年見てきたからだ。生まれた場所がそういう世界で、いつかいつかお母さんや弟を幸せにしたいと強く思ったし、母が辛かったと自分に言い聞かせていたがダメージは大きかった。

 20代の頃にピプノセラピーの退行療法をしてもらった。虐待問題研究所のブロック解除の講座にも参加した。実父の写真は全て捨てた。龍輝学園のトラウマケアに参加した。
 
 そこで私は恥ずかしながら自分のトラウマを淡々と話した。今は恨んでもいない。ただそれをまず学ぶことが必要だったのだと思う。ではないと「え?」怖いね〜とその痛みもわからず他人事になっていたのだとも思う。

 話した後は、黙り込む人、励ましてくれようとする人、その思いが伝わってきたと感じる人、様々な受け止め方があるのだと教えていただいた。

 そしてその後自分がDVや虐待に対してのトラウマは消えていて、違うトラウマがある事を講師の先生に教えていただいた☆

 ある一言で私の心は乱れた、涙が溢れた。家に帰ってもそういう人間だからと1人で勝手に凹んだ。

 そして講師の先生にLINEをした。
そして悪気がなかったのだと必要以上に考え追い詰める自分自身の弱さにきがつけた。

 これだったのだと理解できた。先生も驚いたと思う。私は行動的で悶々するくらいならと当たって砕けろタイプだから。周りは大変である。だが腹に溜め込むよりはマシかとも思う。爆発してしまうから。いかにちょこっとずつ冷静に伝えるかがポイントだと思う。

 以前ならこんな自分の事人に迷惑かけて嫌いだったけど、今は大好きで伝えてよかったと思った
そして、これだったのかと発見できた。だけどまだ第2チャクラは弱い。となると、前世からの持ち越しかもしれない。
 

繊細な方ほど自身での思い込みというのがあると思います。色々な場面で。でも不幸癖の人は勝手に何かの言葉で傷つき心の扉を勝手に閉めてしまう。そして不幸に浸る。それがその人の心の拠り所だからしんどいと思ってもそう思う。そして周りにも不幸を伝染させてしまう。私も以前はそうだった。不幸な話をすれば可哀想ねーと同情の目で見ながら安心されていた。人も構ってくれた。変な友情を持ちコテンパンに現実を見せられた事もありました。信じたいと思っていた人にですが。

人ではなく自分の心が大切だと思う。どう受け止めるかによって未来も変わってくる。私もこうなるのに30年かかった。だけど光があり、今色々な事を受け止め穏やかになったと丸くなったと言われる事も多くなりました^ ^

 これこそが魂の過程なのだとも思う。最後は自分の核に戻る。他人ではない。そう教えてくれたグランディングや夫や先生や今いる周りの方そして見えない方に感謝しています。

 人がいて自分がわかるのだと。だから色々な人がいてもいいと思った。そして自分も幸せになっていい事を許可したらすごく楽になりましたよ。

 苦しくてもがいている方光を見つけませんか?
 気になる方は覗いてみてくださいね^ ^