物心ついた時に千葉の本家に遊びにいくと庭にも小さな一軒家があり何故あるのか聞いたことがある。

そこに住んでいたのは代々本家に使えていたお手伝いさんだと叔父から聞いた。

もう住んでるものもおらず中学校の時にその家は壊されてなくなった。





ふと思い出される優しいおばあちゃん。千葉に住んでいたのは4歳までだ。私はそのおばあちゃんを忘れていない。

質素な部屋で小さな私はいつも庭先のおばあちゃんの家に遊びに行った。本家に行くたびにおばあちゃんのところに何故か会いに行った。


おばあちゃんはややガタイが大きい、でもいつ行っても優しい笑顔で、出迎えてくれる。

小さな私達(従兄弟)に、沢山の話をしてくれた。
その当時は意味は全く理解できなかったが徳についての話や家で先祖代々使えてこられた話などもしてくれた。

神様はいい時も悪い時もいつも見ているからねと
神の存在も忘れずに話してくれた。




だがこの世の中は理不尽である。


ほんの些細なことではあるが
自分にされて嫌なことを試しにしてみたいと欲望に駆られ実行してしまうもの、
だいぶ時間を置いて自分に置き換えないとわからないもの 
実際に合わないとわからないもの





自分がされて嫌なことは他人にしないように



子供の頃から聞かされてきた。
だから私も子供が小さかった頃から教えている。
何度も何度も、教えている。


どれだけの人が実践できているのだろうか?


1人でも多くの人に気付いて欲しい。

そうすればこの世も生きやすくなる


お金をかけずに出来ることは沢山ある。この世に自分だけ生きているわけでは無い。

人がいるから色々な経験や感情を味わえる

教師・反面教師は自分でjudgeすれば良い。
永遠に死ぬまでお付き合いする必要もないから

縁が切れれば学びが終われば離れていく。

この世には永遠にあるものなんてないから