大統領就任演説に思う | コンセントの穴

大統領就任演説に思う

アメリカの第四十四代大統領にバラク・オバマ氏が就任した。

史上最高の200万人とも言われる米国民が集まってその就任を歓迎した。

日本の総理大臣とはえらい違いだな。

日本の場合は、日替わりメニューで総理大臣が代わって、就任直後に支持率も恐ろしく急落する。

ただそんな部分よりも・・・

今回の就任演説を聴いて、日本とアメリカのもうひとつの大きな違いを感じた。

アメリカ大統領では第35代のケネディー大統領の就任演説が名演説だといわれ続けている。

『わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。』

俺は、この演説を知ったとき、名演説だといわれているにもかかわらず何だか少し違和感を覚えた。

それは、俺が日本人で、日本の社会と文化の中で育ってきたから理解できなかったんだろうな。

そして、今回のオバマ大統領の演説。

「新たな責任の時代」が強調され、後半部分には

『新しい責務を果たすべき時代だ。我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。』

とあった。

もしも、このオバマ演説やケネディー演説と同じような要旨の発言を日本の総理大臣がしたならば日本の世論はどう受け止めるだろうか。

「国が国民のために何をするかより国民が国のために何をするかだ。国民は国家に対して義務を負っている」

と発言したならば・・・

アメリカは確かに自由な国だ。

ただ、自由の前に秩序を保ち繁栄を維持する義務が国民自体にあることをアメリカ人は普通に理解してるんだな。

日本は・・・

自分のために何をするか。自分のために何をしてくれるかが先のような気がする。

それは、一般国民だけに限らず国会議員も霞ヶ関の官僚も・・・

官僚は自分たちのために国家はどうあるべきか。

国会議員は選挙のためにどう身を処すべきか。

国民は、義務や社会に対する思いやりよりも先に自分の権利。

アメリカ国民がすべてすばらしいと言い切っているわけではない。

目指そうとする国民性の違いをふと感じただけ。