試験に出ない日本史_和宮親子内親王 | コンセントの穴

試験に出ない日本史_和宮親子内親王

教科書に登場する歴史を動かした人物は、男が圧倒的に多い。

しかし・・・

実はその影にはあまり語られないがとても重要な役割を果たした女性の存在がある。

徳川家の支配により264年も続いた幕藩体制。

明治維新後の徳川家はどうなったか。

実はm9っ`・ω・´)シャキーン

いまでも存続し続けている。

維新のために多くの人が命を落としたのに、なぜ徳川家は御家断絶とならなかったのか。

その影には、悲劇のヒロインが存在する。

和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)。

彼女は、朝廷と幕府が極めて険悪な状況下のときに・・・

岩倉具視らが唱えた公武合体という時代の都合という目的で徳川家へ嫁がされた。

婚約者がいたにもかかわらずだ。

これは皇族から関東の武家へ嫁いだ唯一の例だ。

大政奉還の第十五代将軍徳川慶喜の一代前の将軍、徳川家茂のもとへ。

公家の生まれの和宮にとっては、関東下向、大奥入りはとても屈辱的なことだった。

もともと陰湿ないじめが横行していた大奥。

そこへ、公家出身という異質な和宮が入ってきたのだから、相当な嫌がらせがあったことだろう。

しかしm9っ`Д´)

第十四代将軍・徳川家茂はそれまでの将軍とは違って・・・

側室を置かなかった。

和宮を溺愛したのだ。

これは江戸城・大奥においては極めて異例のこと。

歴代将軍の中で最も仲睦まじい夫婦だったといわれる二人。

夫・家茂は、長州征伐に出かけるとき凱旋のお土産に何が欲しいかと和宮に訊ね、和宮は故郷京都の西陣織が欲しいとこたえた。

長州征伐後、約束どおり和宮の元へ届けられた西陣織。

しかし・・・

愛する夫家茂は・・・

帰らなかった。

上洛の途中、疫病にかかり大阪城で命を落としてしまったのだ。

形見となった西陣織を手にした和宮は和歌を添えてその織物を寺に奉納している。

空蝉(うつせみ)の 唐織り衣(からおりころも) なにかせん 

あやも錦も きみありてこそ 


子供がいなかった家茂の後は一橋家から慶喜が代十五代将軍へと就く。

そして、大政奉還。明治維新へとつながる。

歴史上、維新の立役者として男の名前ばかりが挙げられるが、江戸城無血開城は・・・

和宮の存在がとても大きかった。

和宮は甥にあたる明治天皇に自分の体を張って徳川家の存続を訴える親書を送っていたのだ。

嫁いだ当初、公家出身だということで大奥でいじめられて京都に帰りたがっていた和宮。

夫・家茂に全身全霊で愛されて徳川家のひとになっていたんだな。

皇族から唯一徳川家へ嫁いだ和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)

間違いなく歴史を動かした女性だと思う。

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※昨日、来来亭・長岡京店にラーメンを食べに行ったら、店長に『歴史の話し楽しみにしてます』と激励の言葉をもらった。

ってことで今日は歴史のお話しでした(o^-')b