昨日の続き

 

心のほうは「少食になりたい、無駄な殺生はしたくない」という思いがあっても
今迄あった「あれも食べたい、これも食べたい」という思いが苦しみになるのは

当然だと言えるでしょう。

だって、おいしい、おいしいと言って食べていた牛肉や豚肉や鳥肉を食べてはいけないものとして認識を変えるのですから。

急には方向転換できないのは、当たり前です。

実は、「あれも食べたい。これも食べたい」という気持ちは、
少食を決心する以前からずっと自分の中にあったのです。

この苦しみとして出てくること自体が療法であり、
いずれは消えてゆくために出てきたのですから、
とても有り難いことなのです。

 

病気の症状も苦しいという気持ちも

いずれは消えてゆくために出てくるという事を覚えておいてください。

つまり、身体が知らせているという事です。


しかし、凡人が、どうすれば苦しい思いが出てきたことに
感謝できるようになれるのでしょう。

私の場合、クッキーやドーナッツを食べ過ぎては苦しい思いをしましたが、
それは決して症状の悪化でも天罰でもなく、

身体が徐々に変わってきているという証拠だと気が付きました。

病気が治るために出てきたといいましたが、食や生活のどこに原因があって
どうするとどうなるという事が結果として理解できるようになるのです。

健康で何の病気もなかったとき、食事療法をする前に、
その思いが今までは苦しみとして出てこなかったのは、
自分の中に「少食になりたい」「食生活を改善したい」

という強い思いがなかったからです。

「少食になりたい」という思いが苦しみになったということは、
自分の中に正しい思いが芽生えた証拠であり、大変すばらしいことなのです。

自分の中にある心と体の自然治癒力が、悪い思いや習慣を

追い出しにかかっていると思えばいいのです。

「症状即療法、煩悩即菩提」とは、そういうことです。

行動は思いと同じでないと身につきません。

思いのある行動の繰り返しがその人を作り上げるのです。

ですから、違う思いがあってもいいのですが、常に気が付き

修正することです。

「少食になりたい」という思いで行動していたら、
別の思いはいずれ気にならなくなるものです。

たまに、唐揚げが食べたいと思って買おうとしても、
ああニワトリを殺生するのはかわいそうだと思い出せるようになって
くるのです。

身についてないと、「食べたい」気持ちが先になり、気が付いたら食べているし、

「たまにはいいか」と自分を許しています。


食べてはいけないではなく、少食で満足できる愛深き人間になりたい
と思う方が大事です。

何も思い悩む必要はありません。

あれこれと考える必要もありません。

毎日毎日、身体に良い習慣をつけることに全力を尽すだけです。

実行あるのみです。

「食べたい」という気持ちが出てきても、
身体にいい食生活を思い出して実行に移す。

その繰り返しが、今は目に見えなくても、いずれは大きな力になるのです。

食べたいからといって食べていたら、いつまでたっても変われません。

「食べたい」という貪欲があるけど、
「食べないでいる」という正しい思いを実行する。

その繰り返しが様々な貪欲に振り回されない自分を作っていることを、
いつも忘れないでください。

正しい行動が苦しいのは、今迄の悪い習慣のせいなのです。

今の自分が至らないから苦しいのであって、
いつまでも続くものではありません。

良い習慣が身につけば、正しい行動が苦しくなくなります。

そうなった時こそ、自分は「変わった」ということです。

変われば必ず身体は変わります!

ですから、今は辛いが習慣になれば辛くないことを信じて、
毎日毎日、喜びながら自分を成長させ満足することに専念するよう
心がけていくといいですね。