中秋の名月ご覧になりましたか?
満月と十五夜が重なるのは8年ぶりだそうです。
私は金色に輝く素敵な月光をたっぷり浴びました。
太陽の光と共に、月の光も人間の健康には欠かせないそうですよ。


先日の続きです。

私には20代の頃夢があった。
しかし、父の「そんなことで食べて行かれないだろう」という一言で考えてしまった。
「収入が得られるのに時間がかかるかもしれないけれど、頑張れ」ではなく

無理だという言葉に聞こえたのだった。
安定した収入を得る道を選んだ私はとにかくどこかへ就職しなければという思いだった。
いまでこそ、アルバイトで食いつなぐという道があるが、

当時は大学を出て(出してもらって)ふらふらしている人は本当に皆無に近かった。
私は自分が勤め人には向いていないと思ったが、

ではどうするという選択肢も浮かばなかった。

安定した収入を得る道はいつも楽しくなくて必死だった。
必死だと楽しくないから、逃げ出したくなる。逃げ出すのは敗者だった。
そしてそういう生き方をする悪い癖がついた。
判断基準を世間や他者に委ねたのだから、そうなる。

自分のやりたいことをやっていいという世間の風潮が少なかったのだから、

身内にも「自分勝手だ」と言われ続けることになる。

ここまで長い間、生活費の為だとか家族のためだとか言って、

自分を騙しだまし生きていると、本来身体に必要なエネルギー値は

どんどん下がっていくという。

自由に生きたいと思っている自分が、足を引っ張る誰か(何か)の言葉に妥協すると

脳では何が起きるか…

自分の自由に「できない」「やれない(やってはいけない)」と認識すると

あなたの「できない」「やれない(やってはいけない)」といった事をしようとするために

使われる筋肉は、エネルギーを必要としなくなるので、

脳はその分のエネルギーを節約するように指示を出し、

その結果全身のエネルギーが低下するのだという。
度々、そして長い間その状態が続いたらどうなるだろうか。

つまり「あーもう歩けない」「この仕事で歩くのは辛い(会社に行きたくない)」

「行きたくない(歩きたくない)」
と思ったとしたら…

それが今の私を作っている。

「仕事から引退したい」
「自由な時間が欲しい。一人になりたい」と思った私もいる。
それが今の私。


周りのお節介や心配に振りまわされず実行し食事療法を続け、食べ方の加減や、

自分に合うあわないもよくわかるようになって、もう、ずっと一日一食で行かれると

思っているし、ここからは自分の気持ちや

周りのお節介に擦りまわされず実行していけば、必ず今より体調は良くなるだろうと思える。

これは誰が何と言おうがひたすら続けたからだ。

それと同じことが生き方にも言えると思う。

今までの生き方は、ちょっと間違ったかもしれないけれど、生きている以上修正は効くのだ。

身体にエネルギーの満ちること(満ちるような生活)をしなければ

身体は戻ってこないと今は思っている。
逆に言うと「いやだ」と心が拒否することはしない方がいいという事だ。

思えば人は、家族や他人の干渉の中に常にさらされている。

子供のころからだ。
何でも自由にやっていい(範囲はもちろんある)なんてことはめったにない。

誰にも迷惑をかけないことでさえそうである。

迷惑とはつまり家族や他人が心配しないで済むこと(世間に言われないで済むこと)なのだ。

家族や周りに負担が及ばないことが大事なのであって、

私の幸せや心の満足など関係ない。
それと闘うのは相当なエネルギーがいる。

特に私の時代の女性では大変だったが、

今もこの風潮は変わらないどころか益々【過干渉】になっていると思う。

私は親しい友人にこの病気と状況を知らせたとき

「きっちゃんは病気と闘っているのではなく、家族と闘っているんだね」と数人に言われた。

本当にその通りなのである。

家族は今も私がこうして「ブログ」を書いていることは知らない。
知らせる気もない。

本になるという話があった時も、家族は反対した。
だから匿名になった。
治療院が私を気遣った末こうするように著者に言ってくれた。

私は干渉されたくないから、人に干渉しないようにしたいと思っているが、

私以外の人は干渉しないと冷たいというし、干渉されればうるさいという。


私は、ただ放っておいて欲しいのだ。

それは悪いことではないと思う。

子供たちは「孤独死なんてさせられない」といい無理やり施設に入れたが、

孤独死のどこが悪いのだろう。

この施設にいたって、誰も知らないときに死ぬ可能性は充分あるのに。

人は一人で生まれて一人で死んでいくのだ。

私は死ぬ時くらい自由でありたい。

放っておいて欲しいので、医療の力や他人の力は必要ない。

死ぬ覚悟なんてとっくの昔に出来ている。

人生のシナリオを決めて、この世に生まれてきたとすれば、最後までやりぬき、見届けることがいいのだろう。

もしかして、最後には奇跡が起きて完治するっていうシナリオがあるかもしれないし、

それは誰にもわからない。

ただ一つ言えるのは、他者に命のいく末を委ねてはならないという事だ。
 

そして、諦めてはダメだ。

自分の力でやれることは全部やろう。

そして、自分の身体の名医であろう。