霊感、五感、第六感

人には「感」というものが備わっていますが、皆さんは実感したことがありますか?

そんな「感」がしたとか、「感」が働いたとかそんな事を聞きます。
その感は、霊感でしょうか?
第六感でしょうか?

第六感は、人に備わっている五感と言われるものを超えたものを指しています。

どちらも目に見えません。

人は科学で証明できないもの解き明かせないものをオカルトと呼びますが、オカルトだから存在しない、眉唾だと決めつけないでほしいと思っています。

ただし、目に見えないだけあって恐ろしいものが含まれることもあります。
しかし、普通の生活と普通の判断力をもって生活している分には、所謂「魔物」は寄ってこないのが普通です。


特殊な力を封印しないでほしい。

私は小さい頃から、他の人より少し「感」がよかったのですが、

私自身にとっては特別なことではなく、みんながそうだと思っていましたから、

不思議にも思わなかったし、特に誰もそれを認めて特別視することもありませんでした。

絶対音感という言葉もずっと後になって知りました。

小学生の時から、一度聞いた曲を、習ったこともないピアノやオルガンで

弾けてしまうのです。

同じクラスには、ピアノを習っている人がいましたが、

その子達よりずっと簡単に弾けてしまうのです。

担任は音楽の先生でしたが、「習ってもいないのに…」という理由だけで、

全く認めませんでしたから、習わないとダメなんだと思っていました。

大学に入って、占星術や占いなどに興味を持ち始めると

今度は人の事がいろいろと解ってしまうのです。

友人は「よく当たるから…」という理由でよく「見てほしい…」と言われました。
それは、ずっと続きましたがある時「魔が入る…」という事を教えてくれた人がいて、

占っていると魔が入ったり、乗り移ったりすることがあると教えてくれましたが、

そんなこともなく言われれば見てあげていました。

私はよく友人や知人が、その友人や知人を連れてきて占ってほしいと言われることがありました。

中には、お金をとって商売にすればいいという人もいましたが、

人が幸せになればいいと思っていましたから、私はそんな気にはなれませんでした。

もしかしたら人と違う能力があるのかも知れないとは思いましたが、

お金儲けには使ってはいけない気がしました。

息子も中古のバイクを買いに行くときは、氣のいいものを購入する為に

私に一緒に行って欲しいと頼みます。

バイクを触るとどんな人が乗っていたか分かるからです。

ある高名な宗教家にあったとき、そういう能力は人を惑わすから

使ってはいけないと言われましたので、使うのをやめました。

しかし、使わなくてもわかるものはわかるのです。

出来るだけ見なかったこと、知らなかったことにしようと思いましたが、

わかるものはしかたがないです。

最近、魂や霊の本を読んだ時に、東大名誉教授の矢作先生は

「そういう能力を封印してはいけない」とおっしゃっています。
大いなる存在からのメッセージの場合があるという事です。

確かに、車の片方のタイヤを取ってしまったような何とも不安定な状態がずっと続いていました。
ほっとして封印を解くことにしました。
なので、今は両輪のタイヤに戻った気分です。

人の本来の姿は、魂にあるとすれば、この目に見える現実社会と背中合わせに

見えないけれど存在する世界があるわけですから、

時々わかる人がいても不思議ではないはずです。

そういう能力は人を惑わすから使ってはいけないと言われたのは、

今では商売上の事(宗教という商売)だったのかと思う事ができます。

誰にでも、潜在的に見えないけれど存在する世界を感じる能力はあり、

開発していけばどんどん使いこなすことが可能です。

開発していくのはどこかに習いに行ったり、教えてもらったりすることではありません。
損得や計算抜きに素直な気持ちで感じるままを感じていれば次第にわかります。

人間は自然界の動物であるという事を忘れて生活してきてしまったので、

若干退化しているのです。

ありのままで生きてみてください。
きっと感じることができるはずです。