あんちゃん観劇記録と心の記憶12 | kis-my-diary 北山宏光くん応援ブログ

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ーあれから。居酒屋 天狗での父と息子ー





父:「うーん!うまい!ちくわぶ、本当にうまい!」


美味しそうにちくわぶを食べる父。




遅れて店に入る凌。

父がちくわぶを食べているのを見て笑いながら…



凌:「お待たせ!」



父:「おお!」


 

凌:「本当に好きなんだね(笑)、ちくわぶ。」

 


父:「あんちゃんも食べるか?ちくわぶ。」



凌:「絶対に頼まないね(笑)てか、あんちゃんってにもうやめない?そっちはただ単にそう呼んでるだろうけど、こっちとしてはちゃんと意味があるから。

それを今から説明するから。」

 

 

バックからノートパソコンを取り出し、電源を入れる。(パソコンのメーカーは【GLOVE】)



父:「でも俺…お前のことあんちゃんって呼んでなかったか?」

 


凌:「えっ!?思い出したの?」

嬉しそうに反応する凌。



父:「いやぁ、お前の顔を見たときなんとなく…」

 


凌:「ちょっと待って!!」



凌はすぐにビデオを回し始める。

(ドキュメンタリーを撮り続けている)

父もすんなり対応する。

カメラ見ながらちくわぶの先端かじっちゃった!(笑)なんて言いながら。

 


ふふっと笑い、

凌:「慣れたもんだね。撮られるのも。」




説明を続ける凌。


凌:「父さんが出て行く前、母さん妊娠してたんだよ。それで、俺が弟が欲しいって言ってたからこれからあんちゃんって呼ぼうかって。」


 

父:「ええっ!!瑛子が妊娠してるのに女と夜逃げしたってのかよ。」

 


凌:「そうだよ?」


 

父:「ひどい男だな。」

 


凌:「自分のことだろ?被害者の前でよく言えるな。」

呆れながらも微笑む。

カメラを回し続けながら。



立ち上がったパソコンを父側に向け、凌が6歳の頃、瑛子が妊娠したことを揃って報告している映像を父に見せる。(冒頭のゲームしてるシーンの音声のみが流れる)




凌:「これがその時のビデオ。俺がゲームしてたら2人ともハイテンションで入ってきてさ!」




映像を見る父を撮り続ける凌。

 



父:「瑛子、ずっとカメラ目線だな。」

 


凌:「それだけ嬉しかったってことでしょ。」

 

 

父:「でもな。今更、凌って呼ぶのもな。」

 


凌:「息子の名前呼んで照れる親がいるかよ。」

映像を見る父の背後から、優しく言う。



 

 

ビデオをしばらく見ながら・・・

父は言う。


 



父:「もう少し…あんちゃんって呼んでもいいか?」


 

 

 

凌:「…わかったよ。」



クスッと笑いながら。

 

 

 



オープニングに流れたピアノのBGMが流れ、

あんちゃん終了。



カーテンコール。





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ここからは、わたしの感想です。




この物語は、

観る人それぞれ、

刺さりどころ、落としどころが全く違う。


だからこそ、ひとりひとりの心に何かしらの感情が残る、希少で貴重な舞台だと思いました。




北山さんは、

「温かい気持ちになって帰ってもらえたら」

「何かお土産になるものがあれば」



って言ってた。

お土産はあったけれど、個人的に私の場合は温かい気持ちというよりは、感情移入しすぎてしんどい気持ちのほうが強かったかもしれません。

でも、人生について、人の心について、より深く考える舞台になりました。



今回は1つの家族に焦点が当たりましたが、これは人生の中で誰しもが近くで聞いたり自ら経験しているであろうテーマを題材としていてものすごく身近。


だからリアリティがあったし演者も完全に家族になっていたし、気持ちをぶつけ合っていて。

だから余計引きずりこまれてしまって…



自分もあの中に入って一緒に落ちたり悩んだりしてしまったんです。あくまで自分の場合ですけど。



こう思うんです。

自分が生きてきた中で潜在的に抱えている部分が、無意識に反応したんだと。



父に共感する人は少ないとは思うけど、

母に激しく共感する人、

冴に共感する人、

准に共感する人、

凌に激しく感情移入する人。

誰かしらに共感したのではないかと。



色々な感じ方があるのは、観客ひとりひとりの人生、生き方生き様がある中でリンクする場所がどこかしらあるから。

だからどこかしら刺さる。




でも、スッキリはしない。

そしてこの物語には落としどころはない。


健忘症という病気になった父は過去を覚えていない。

記憶が戻るかもわからないまま、幕を閉じる舞台。


つまり、白黒はっきりせずグレーで終わるから落としどころは自分で決める。

自分で考えるように宿題が渡されたような気がしてます。




わたし、セリフひとつから色々と想像をしてしまって…

一生わかることのない疑問をずっと考えてしまって(笑)



なぜ父は出ていったのか。

本当に浮気をしていたのか。子供たちのビデオをずっと撮り続けていた父が。

准の進学のタイミングで借金を全額返済した父が。

8歳の凌に、パパんとこくればいいと言った父が。


凌とのキャッチボールのシーンで、父が「別れたくて別れた訳じゃない」という言葉に引っかかっていて… 


ヤミ金にも手をつけていたから父なりの家族の守り方だったのかもしれないなとか。


母に新しく宿った命は、どうなったのか。(どうしたのか。)


あのドキュメンタリーを撮り始めたことで、家族はどうなっていったのか。







でも生きていると答えがどうしても見出せないことってあるんだろうなと。

そんな中で、自分だったらどう生きていくか、ってことも考えさせられた舞台。




あと、

「お前は、誰かの、何かのせいにしてきたんだよ。」



これについても考えました。

凌は誰かの何かのせいにしてきたのか、と。



凌は、強く生きる姉たちに注意を受けながらも夢を持っていたし、アルバイトもしていたし、自分なりにもがいていた。

父がビデオを撮っていたから、映像の道を選んでいた。決してただのひきこもりではない。



そして、父が現れたことで、自ら閉ざしていた心の扉を開き、父を受け入れ、家族をまた家族にしたいと真っ先に動いたのは紛れもなく凌。



父がいなくなったせいで、学校に行かなくなった。男1人になって肩身の狭い思いをしてきた。

自立した強い姉たちと優しい母に甘え、その日暮らしをしてきた現状があった。



姉たちは、父がいなくなったせいで母が働きに出たことで我慢が増え、自分たちのやりたいことが出来なかった。



母は、夫や浮気相手のせいで、苦労した上に、自分に宿った新しい命を失った。



誰かの、何かのせい、といったらそうなのかもしれない。



父のせいにしていたのかもしれない。

姉たちのせいにしていたのかもしれない。



でもこれはこの家族だけの中での言葉ではないと思う。


観た人に考えてもらうためのメッセージだと自分の中では解釈しました。



気付いていたと思う。凌は。

父が頭を打って入院していなければそのままだったかもしれない。

でも父が姿を現したことがきっかけで、変わっていった凌。




大好きな母。

母の幸せを誰より願ってた凌。



母は優しくて、弱い。

強いけど、弱い。

口癖は、「ごめんね」



大好きな母が父を許していたことも大きかったんじゃないかな。

そして父と再会できたことで一気に父への想いが溢れた。

そして、父がいなくなってからも撮り続けてくれたビデオが嬉しくて。






父とビールを乾杯したときの嬉しそうな表情。

22年前のことを忘れられていたときの絶望の表情。

姉たちが出て行ってしまい母の背中が小さくなっていくのを見ている悲しい表情。

母と話すときの優しい表情。

居酒屋で待ち合わせして、映像を見せては思い出させようとしているときの穏やかな表情。




家族が大好きだった凌。

だから、取り戻したかったんだと思う。

自分の力で。



これは、父と、家族を求め続けた、

究極の息子の愛の物語でもあると思う。







改めてすごいと思ったのは。



衣装チェンジなしで、袖の長さひとつで、6.7.8.30歳を演じる北山さんの表現力。



本当に子供に見えたし、ラストの長ゼリフのシーンは悲しみだけでなく怖さも感じた。

見事に、演じ切ったと思う。




田村さんは、グレーな部分に焦点を当てた芝居をやりたいと言っていた。


コントラストのはっきりしない、人生の苦さややりきれない部分を楽しんでもらえたら、と。


人生において誰もが経験する、曖昧にしたり、やりすごしていたり、見て見ぬ振りしていたり、認めていなかったりする、グレーな部分。



答えも出なくて解決しない問題。

納得いかなくても、生きていかないと行けないもどかしさ。



田村さんとの対談でも、

「北山くんの人生によって解釈も変わる。自分を開きながらやったほうが役に表しやすい。

北山くんには納得しながら、解放しながら演じてほしい」



「僕は一人っ子だけど父親が途中で現れてくるあたりには自分とシンクロするところがあった」



多分、本当に解放された心で演じていたと思う。

じゃないと、この舞台に負けると思ってたと思う。




千穐楽でも書きましたが、

最終的には解放された北山宏光という人間の人生が舞台でも反映されていたように感じました。






「面白かったで終わるのではなく1週間後にふと思い返すような見た人の心に残るような」



ものすごく、心に刺さり、そして響き、心にずっと残る、素敵な舞台でした。




カーテンコール。

初日から数日は言葉を発していたけれど、前半から何も言葉を交わさず挨拶していた北山さん。



そういうところも、

あの場では、アイドルではなく、役者としてあの場に立って真剣に勝負していたからこそだと、勝手に思っています。





公演期間中、愛唄ナンバー、歌舞伎ナンバーを聞いて通勤していました。



2011年の美男、

2013年の愛唄、

2015年の滝沢歌舞伎、

そして、2017年のあんちゃん。



歌にダンスに、ミュージカル、

ジャニーズエンターテイメント、

そしてついにストレートプレイを見せてくれた。




また違う形のお芝居を私たちに見せてくれた。

とても難しいテーマと役どころを、演じ切ってくれた。



どんどんステップアップしてる。

もう、誇りと感謝しかありません。


ありがとう。







最後に。




公演中、初日に確認した左頬の小さな吹き出物。なかなか治らなくて、東京千秋楽まで居座っていたあのしぶとい吹き出物。

この子も目立ちたがり屋だなぁと。

めちゃめちゃ愛おしかったっす!(笑)







以上、わたくしのあんちゃん観劇記録と心の記憶でした。



長々とお付き合いいただいた方、ありがとうございました。