2023年、和歌山刑務所の金庫で、受刑者から預かった指輪が忽然と姿を消した、という事件が起こった。
預かり品を保管することを「領置」と呼ぶが、その中でも貴金属や、公的身分証明書(マイナンバーカード)などは「特別領置」と呼ばれ、刑務所における最も厳重な管理対象である。
ちなみに私はマイナンバーカードは特別領置として保管されたが、免許証は一般領置品であった。
さらに常に身に着けている貴金属は、私からは何も告げていないが、見た目から察したのか、これは一応「特別領置」としておく。と言われ、小さなジップロックのようなもの入れられたのを覚えている。
私から「これは高価だから」などとは言っていない。
もはやそれを告げていても、それを聞き入れてくれるとは到底思えない。
話がそれてしまったので本題に戻すとする。
領置品については、受刑者の財産権を守るため、鍵の管理から記録簿の照合まで、複数職員の確認を要する——はずだった。
だが、その制度の隙を突いたのは、まさに信頼される立場の刑務官自身だった。
この刑務官は、領置品の管理を担当する立場にあった。
保管場所や鍵の所在、点検の周期まで熟知しており、それを逆手に取って、金庫から受刑者の貴金属を持ち出した。
しかも、発覚を防ぐために 「代替品を用意し、入れ替える」 という工作まで行っていたという。
消えたのはブランド指輪など複数点。
事件が起きたのは2023年夏から2024年秋にかけての約1年。
被害総額は約23万円にのぼった。
事件の発端は、定期的な金庫内点検の際だった。
「記録にある指輪の数と、実際の現物が合わない」——
担当部署が異常を検知し、刑務所として警察に届け出たのが2025年4月。
代替品を入れていたことで発覚は遅れた。
しかし、後の定期点検で、保管記録と現物の管理番号、封印タグなどにズレが見つかり、不正の疑いが浮上した。
書類上の記録と現物の照合に矛盾が生じたことで、入れ替えが発覚したのだ。
つまり、偶然の点検がなければ、事件は表に出なかった可能性が高い。
刑務所の金庫に預けられる「特別領置品」は、受刑者にとって国家への最後の信頼の象徴でもある。
自由を奪われた中で、唯一守られるべき「財産権」。
それを預かる職員が裏切った意味は重い。
和歌山地方裁判所は2025年9月、被告に懲役2年6か月・執行猶予4年の有罪判決を下した。
裁判所は判決でこう指摘している。
「刑務官という職務上の立場を悪用し、受刑者の信頼を裏切った行為は極めて悪質である」
犯行は計画的かつ継続的。
内部知識を利用し、監査の目をすり抜けたという点が特に重く見られた
被告側は動機として「異動で手当が減った」「借金を抱えていた」と主張したが、
裁判所は「国家公務員としての立場を踏まえれば、正当化し得る理由ではない」と退けた。
懲戒免職処分を受け、被害弁済も進んだとはいえ、
国家が“預かった信頼”を食い潰した事実は消えない。
同じ構図、名古屋刑務所の不祥事
少し性質は異なるが、名古屋刑務所でも2021〜22年にかけて職員による暴力・不適切処遇が相次いだ。
22人の職員が関与し、うち13人が書類送検。
受刑者に対する立場の優位を利用した一連の行為に、法務省は「矯正行政の信頼を損なう重大事案」と断じた。
暴力と窃盗——形は違えど、共通するのは「閉ざされた空間での権限の乱用」である。
監視が届かない場所ほど、権力は腐敗しやすい。
「誰も見ていない場所」で起きること
刑務所の中は、外からの視線が届かない。
被収容者は声を上げにくく、職員同士の内部監査も形式的になりがちだ。
この事件は、その「閉鎖性」と「信頼構造」の狭間で起きた。
預かり品制度の管理は二重三重のチェック体制になっているが、現実には鍵の持ち主や記録者が同一人物になることもあり、それが「単独での不正」を可能にしてしまう。
今回の事件を受け、矯正当局は再発防止策の検討を進めているという。
職員間の相互監査の強化、外部委員による金庫点検、さらに被収容者が匿名で通報できる仕組みの拡充などが挙げられる。
だが、本質的な再発防止策は“制度”ではなく“倫理”にある。
鍵を握るのは、制度の外側ではなく、その中にいる人間のモラルだ。
金庫の奥で消えたのは、指輪だけではない。
それは、国家と受刑者の間にあった、「最低限の信頼」という名の見えない契約だった。
見えない場所で起きたこの小さな事件は、矯正行政という巨大な仕組みの中に潜む歪みを静かに照らし出している。
信頼は制度ではなく、人で守られる。
その当たり前のことを、私たちは今、改めて思い知らされている。