隋の第2代皇帝・煬帝 | Kiryu Rotaroと申す

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隋の第2代皇帝・煬帝(在位:604年8月21日―618年4月11日)

607年、聖徳太子の「日出処天子、致書日没処天子、無恙哉」、訳語「日出ズル処ノ天子、書ヲ日没スル処ノ天子に致ス。恙(つつが)無キヤ」という手紙を持ってきた遣隋使・小野妹子(生没年不詳)にブチ切れた事でも有名です。当時、日本国でなく倭国だった。
倹約家の孝行息子を装いながら皇位継承を目論んでいた楊広(=煬帝)は、派手好きで正妻以外の女を求めた皇太子の兄が両親から嫌われていると知るや、兄を陥れて失脚させ、自ら皇太子の座につきます。604年、父・楊堅の死を受けて皇帝となった煬帝ですが、実際には父を殺害していたという説がある。中国史を代表する暴君と言われる。
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