日中戦争が始まり、大東亜戦争(第二次世界大戦)の終戦まで長い戦争でした。
若い男性は赤紙(召集令)が来る。戦地へ行って死んでしまう。もう還って来ない。
オリンピックに出場した選手37名が戦死または戦病死した。西竹一(馬術)、大江季雄(陸上)、松永行(サッカー)、竹内悌三(サッカー)、高橋豊二(サッカー、第20代内閣総理大臣の高橋是清は祖父に当たる)、高田静雄(陸上、被爆後に死去)、鈴木房重(陸上)、右近徳太郎(サッカー)、河石達吾(水泳)、新井茂雄(水泳)、鈴木聞多(陸上)、脇坂貞夫(ホッケー)、廣瀬武夫(柔道)、南郷茂章(柔道)、山口多聞(柔道)など
徴兵制の元、相撲力士にも「赤紙」の召集令状が来て、戦地に向かった。戦後、横綱になって活躍した栃錦、吉葉山も出征していた。残った力士は、俵担ぎや荷造り、火消しなどの力仕事に駆り出された。東京大空襲で死去した二人力士がいた。
戦争行きたくない。スポーツを続けたい…。指導者になりたい…。
1938年に決まっていた1940年東京五輪と1940札幌五輪開催地を返上した。1941年12月に真珠湾攻撃し、日米大戦を突入した。