上野戦争 | Kiryu Rotaroと申す

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慶応4年5月15日 (1868年7月4日)、現在の東京都台東区の上野公園周辺で、彰義隊と新政府軍が戦う上野戦争が起こした。1日の戦いで彰義隊が壊滅した事で知られる。

彰義隊頭並の旧幕臣の天野八郎は投獄後5ヶ月で病没した。死因は肺炎とされる。
鈴木由哲(元首相鈴木貫太郎の父)の弟は彰義隊に入り上野戦争で官軍の兵士を沢山斬り戦い続けた大柄な剣豪。全国指名手配されるも東北で豪商の一人娘を娶り商人として生存し恩赦まで政府には所在不明だった。
脱退した元新選組の原田佐之助が彰義隊に加入し、上野戦争の際に負傷し、その傷が元で1868年5月17日(旧暦)にて本所の神保山城守邸で死亡したとされる。生存説もある。

彰義隊の墓は上野恩賜公園(東京都台東区)にあります。