ナチス・ドイツは1939年9月1日から1945年5月8日に降伏するまでに第二次世界大戦を引き起こり、欧州に戦闘拡大していた。
降伏したドイツは複数の追加領土を失い、各戦勝国との歴史に沿って連合国占領地域(1945年~1955年)に分割され、1949年に東ドイツと西ドイツへ分裂し、成立した。1961年8月13日、東と西に分断(ベルリンの壁)した。1970年12月7日、西ドイツのヴィリー・ブラント首相(1913年~1992年、社会民主党=SPD)はワルシャワを訪れ、ポーランドとの国交正常化基本条約に調印した。その足でゲットー英雄記念碑に献花し、両膝をついて跪き、両手を組んで黙祷を捧げた。(雨上がりで濡れているにも関わらず、コンクリートの地面に突如として跪いて黙祷を献げた。)周辺に誰も予想しなかった。突然の出来事でした。世界中から評価点の賛否あったという。
翌年10月20日、ノーベル平和賞を受賞した。1974年に秘書の一人に東独のスパイ容疑が持ち上がり、首相を辞任した。
反日の隣国(韓国、中国)は、ブラント首相を学んでから詫びなさいと批判している。安倍晋三首相は、ブラント首相の真似を出来ないだろうか。
政界を引退した旧民主党の鳩山由紀夫元首相が2015年8月12日、ソウル市内の西大門刑務所跡地である西大門刑務所歴史館を訪問した。鳩山元首相は約40分に渡り館内を見学、その後に追悼のモニュメントに献花し、靴を脱いで跪き、手をついて祈りを捧げた。(跪いて土下座謝罪した。)
日本からは国辱だ、売国家、日本に帰ってこないでと批判を浴びていた。
2016年5月27日、米国のバラク・オバマ前大統領は広島原爆慰霊碑に歴代現職大統領上の初めて訪問した。ピンクと青の2色の千代紙を使い、丁寧に折られていた。この4羽の折り鶴はオバマ前大統領が自ら折ったもの。広島平和記念資料館を訪門した際、そのうちの2羽を出迎えた小・中学生2人に手渡し、残りの2羽は、直筆のメッセージに添えてそっと置いた。その後原爆死没者慰霊碑に献花し、黙祷した。(謝罪発言しない)という記憶が新しい。
米国の一部は丸腰の大統領だとネット上から噴火していた。