墨塗り教科書 | Kiryu Rotaroと申す

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1945年(昭和20年)8月15日、日本の敗戦によって太平洋戦争は終わりました。そして日本は1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約の締結まで連合国による占領支配がおこなわれました。


1945年(昭和20年)8月28日、GHQ の意向に基づき徹底して教育の民主化がはかられました。更に9月15日文教再建の一般方策の発表において、教科書の根本的改訂が行われるまで、さしあたり戦時教材を省略削除すべきことを指示した。これに基き、9月20日の文部次官通牒によって、国史教科書のうち、肇国(ちょうこく)の精神を鼓吹した箇所や、愛国尊皇の献身を説いた文章や、戦争を論じた所を墨で黒くぬりつぶすように指示した。すなわち実例を示して、省略削除及び取扱上注意すべき規準を明らかにした。


この墨塗り教科書にはその変化の跡がはっきりと刻まれています。


9月から各学校で授業が再開されましたが、新しい教育内容に沿った教科書の作成が間に合わなかったために、従来の教科書の不適切な部分に墨を塗って授業が行われました。







Kiryu Taroと申す




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墨塗り教科書と墨が塗られていない教科書を比較する。








しばしば誤解されていることが多いのですが、太平洋戦争下でも英語教育は続けられていました。

敗戦前年の1944年(昭和19)年にも、国民学校(小学校)高等科用の国定教科書『高等科英語』(全1巻)や、中学校用および高等女学校用の準国定教科書『英語』が刊行されていました。


しかし、勤労動員などでまともな授業ができないまま、敗戦を迎えてしまいます。すると、戦時中の軍国主義的な教材を教えることが許されなくなりました。

こうして、戦時下で刊行された英語教科書の一部の教材に墨を塗るなどして、敗戦直後に英語教育がスタートしたのです。

敗戦前後の特異な英語教科書は、戦時下の軍国主義教育から敗戦占領下の民主主義教育への転換を証言する歴史遺産であり、第一級の資料です。








1945年(昭和20年)9月より2学期から再開された時、「国語の教科書を出しなさい。進駐軍の命令で今使っている本の中で戦争のことが書いてある部分を消すから。先生の言う所に墨をぬって読めないようにしなさい」といわれた。

大事な教科書にどうしても塗ることができないでいた。

まだ結婚していなかった若い女性の先生が傍らに来て言った。

「ね・・・・・・・塗ってね」 先生を見上げた大粒の涙をボロボロと流されていた。


自らの手で教科書に墨を塗ることを強要することは先生にとって、私たち以上につらかったに違いないという回顧録をされます。