キスミー!鬼龍院翔です(^-^)
二十歳辺りでゴールデンボンバーを始め、
童貞臭迸る楽曲を書いては歌ってきた鬼龍院もとうとう三十路になりました。
この歳になって童貞臭のする苦悩の歌を歌うのもどうなのかとも思ったりしますが、
今年のホワイトデーにUPした「君のスカートが短くて」という曲も紛れもなく僕が感じた感情。
「君のスカートが短くて」
君のスカートが短くて
ハラハラしている僕がいる
誰かに見られんじゃないかって
気が気じゃない僕がいる
ちょ、危ないだろう
何故そんな短いの穿くのさ
ほら、男共
君が見える位置に居る
危機感の無さに呆れたよ
袋のネズミさ
そよ風でも吹いたなら何人かに
中が見えるだろう 嫌だなぁ…
君のスカートが短くて
ハラハラしている僕がいる
誰かに見られんじゃないかって
気が気じゃない僕がいる
作詞をしたのは確か今年に入ってから、
もう童貞の頃のような誰も寄せ付けないような尖りまくったパトスは無いものの、
僕以外の人に下着を目撃されたくないというような悶々とした感情は確かに在る。
20代になって10代のカリスマであり代弁者だった尾崎豊さんが方向性で悩んだとウィキペディアには書いてある。
確かに20代になって夜の校舎で窓ガラスを壊してまわるのはズレがある。
でも、僕は死なない。
三十代も、表現しながら生きて行く。誰が止めても。
だから、結局は描いていくしかないんだ、今を。生きてることを。
30歳までに見てきて感じた世界を、僕なりの感情で。
だからと言って歌詞のことでヤーヤー言って来る人には困るけどね。
歌詞は半分が実体験で、半分は場面や符割や時代背景等によって対応し変えられて行きます。
簡単に意見できる世の中になっちゃったからかもしれないけどね、歌の意味なんて人それぞれでいいんだと思うよ。
先日、誕生日前日にあった石川県でのライブで
「僕の20代はほとんどゴールデンボンバーに使いました、30代もゴールデンボンバーばっかりやっていこうと思います。」
と言わせて頂きました。
恋人や家族が側に居るような寄り添ってくれる心の安心はほとんど無かった20代だったけど、
思いっきり表現を出来た20代を振り替えってまたこんな10年を送りたいと素直に思ったので発言しました。
結局、表現していくことがまだまだ僕の幸せだと感じたんだと思います。
以前、彼女ができたら報告するよ、とブログで言いました。
ゴールデンボンバー 鬼龍院翔 2009年10月08日『私、翔さんの彼女殺してくるわ』
http://amba.to/NBAGbm
あの当時の状況ならともかく、
今のようなプライベートが全て暴かれる現状だとまぁ彼女出来ても報告は出来ないだろうね、
以前ならともかく、相手に迷惑をかける。
現代において顔を晒すということは本当に考えた方がいいこと。
そんなものに僕は家族を巻き込みたくない。
この2009年のブログ読み返してみたんだけど特に気持ちは変わってないなぁ
>>たぶんもう今後恋愛するとしたら
>>「付き合う」なんて事をせずに、結婚してると思う。
うん、今もそう思う。
まぁ曲が出来なくなるリスクをなげうってまで一緒に居たいと思うような雷に打たれる確率は限りなく低いだろうからしばらくは無いだろう
あ、こんなこと書いても疑いたい人は疑うだろうけど、いまんとこ今日の今日まで彼女は6,7?年間いません。
まぁ、明日の事はわからんけど、カミナリなんて突然打たれるもんだからね、確率は低いけど。
まぁ、打たれたら打たれたで感情を時代とメロディに当てはめて表現していくよ(^-^)
今日、雑誌の取材で僕に質問がありました。
今後一番の課題は何ですか?
と、
僕は「精神的に押しつぶされ、全て投げ出してしまわないよう気を付けることです。」
と答えました。
僕は、バンドを続けて行くことを何より一番に考えています。
一番避けるべきことは、バンドの消滅です
何度も投げ出したいしぶっ壊したいしぶっ殺したいと思ったことがありました。
でも、その度に「続ける」という選択肢だけを最優先で選んできました。
これからもそれは変わりません。
どうかこれからも見守れる限り見守って下さいm(_ _)m
僕は最近思うんだ。
僕が最も変わった所は、
沢山のお金を持ったことじゃなく、沢山のファンを持ったこと。
もちろん、悪い意味じゃなくてね。
でも、考えすぎる僕の脳みそだから、
一億円を両手で抱える重みよりも、
ファン100人を両手で抱えることの方がはるかに重く考える。
一人の人間って、当然だけどそれほど重い。変な例えで誤解を生みそうだけどね。
僕が最も変わった所は沢山のファンを持ったこと。
金銭感覚なんてさほど変わらないし、
変わったことと言えばファンの方について考えることが多くなったこと。
それが一番変わったことかもね。
これからどうなって行くなんてこれを読んでる誰にもわからないし僕にもわからない。
だから僕もあなたも自分の道を選ぶしかないんだ。
僕は30代もこのバンドをやって曲を作って歌ってステージでふざけて生きて行く。
それだけ。
とってもいい20代でした。
応援してくれるファンのみんなに今日も感謝しています。
僕の音楽を聴いてくれる存在がいるという、駆け出しの頃にはあり得なかった現実に今日も感謝です。
明日も生きましょう
bye!