日頃ブログでも実生活でも

じいちゃんじいちゃんと言っているけれど、

それは私の父のこと。

私の子どもがじいちゃんと

呼ぶようになってから、

みんなが「じいちゃん」と呼ぶようになった。

今やあだ名みたいなものだ。



「ばあちゃん」。

ばあちゃんはじいちゃんのお母さん、

つまり私のおばあちゃん。

既に他界しているのだが、

ばあちゃんも認知症だった。


身体がとても丈夫で

病気らしい病気ひとつせず、

90歳を過ぎて骨折したのをきっかけに

高齢者施設へ入居した。

そこで約10年を過ごし、亡くなった。


認知症は自宅で暮らしている頃から

発症していた。

そのため、私も姉も

なんならその頃はじいちゃんが

主たる介護者として

認知症のばあちゃんの面倒を見ていた。



症状としては、じいちゃんと同じく

短期記憶がなくなっていたことと、

少しの間だけ被害妄想もあった。

世間でよく聞く、「財布盗られた」とか

その類いのものだ。


加えて融通が利かなくなっていて

習慣化されたことを止められなかった。

例えば、ごはんを炊くという行為。

ごはんがたくさん余っていて

冷凍してあるのに

どんどん炊いてしまう。

しかも、昔の習慣で

炊飯器にごはんをずっと残すので

気づくと黄色っぽくなったごはんが

炊飯器に入っていることがよくあった。


「今日は炊かなくていいよ」

と何度言ったところで無駄だった。

夕方になると決まって米を研ぎ始めた。

私たち姉妹はフルタイムで働いていたので

夕方は不在だった。


そこで、炊飯器に

「今日はごはん炊かないで」

と書いた紙を貼っておく。

けれどもそんな紙っペラは

いとも簡単に剥がされ、

定時にはしっかりごはんが炊けていたニヤニヤ



大正生まれのばあちゃんは

関東大震災も経験し、

戦争で夫を亡くし女手ひとつで

じいちゃんを育て上げた。

たくましく頑固で見栄っ張りで

誇り高き人だった。

強くないと生きてこられなかった時代だ。


その頑固さに認知症が加わると、

じいちゃんはストレスがたまって

しょっちゅう口論していた。

それが、ばあちゃんが骨折からの入院で

高齢者施設へ入居すると、

毎日足しげくばあちゃんのところへ通う

孝行息子と化していた。

少し距離が離れて優しくなれたんだと思う。


ばあちゃんはばあちゃんで

100歳を過ぎてニコニコ笑う

かわいいおばあちゃんになっていた。

施設でも「癒される」なんて言われて

愛されキャラになっていた。



ばあちゃんは

激動の時代を生きてきたけれど、

最期は穏やかな日々を送ることができた。


高齢者が施設へ入居することには

賛否両論あるようだけど、

家でピリピリした口論を繰り返すより、

我が家の場合は程よい距離ができたことで

みんなが優しく笑顔になれた。

今でも良い最期だったと思っている。