ここのところじいにゃんちに行く頻度が

急激に増している。

そうなると、やろうと思えば今まで以上に

じいちゃんの家のことに

手をかけることができる。



家事のうちのいくつかは

もうずいぶん前に本人がやることを

あきらめたものもある。

あきらめたというのは本人が、ではなく

私があきらめた。

主に片付け、掃除だ。



ただ、すぐにあきらめたわけではない。

なんでもやってあげるのでは、

本当はできるものも

取り上げてしまうことになるから。

できる限り、できることは自分で。

私は医学も介護も学んだことはないけれど

やはり頭や身体を使って自分でやった方が

認知症状が出るのを遅らせたり

或いは改善させたり

良い作用があるのではないかと

信じているからだ。


正直、私がやってしまった方が

イライラしなくて済むのだが、

そこはグッと我慢して促す役に徹する。

これもまた子育てに通ずるものがあると

感じている。





まずあきらめたのはお風呂掃除。

ある時から、浴槽に溜まったお湯が

取り替えられていないことに気がついた。

ずーっと追い焚きしてるのだと思う。


まだ身体はものすごく元気な頃だったので

初めのうちは口頭で洗うように伝え、

時々は私がお湯を抜いて洗って帰っていた。


お風呂のお湯をあまりに繰り返し使うのは

不衛生なので、

お湯を抜いているか、

そして洗えているかどうかを気にすることは

次第に私のストレスになって行った。


そこでもう、ある時から

お風呂掃除は割りきることにした。

じいちゃんちに行く度にお湯を抜いて

洗って帰っている。

こうするようになってから

気持ちはとても楽になった。



でも、こうしてまたひとつ

じいちゃんが自分でやることが

減ってしまった事実だけを考えると

なんとも言えない気持ちになる。



もっともこれは少し前の話。

最近は心臓の病気で

苦しくて仕方がないのだから

掃除もなにもあったものではない。

すべての掃除は私がやることになった。