今年は、壮年部に行くだろうと思っていましたが、壮年進出は、私の地域では全面凍結。私自身は、思いもしない立場を受けることになり、青年部最後の戦いに突入しました。副役職のまま男子部生活を終えると思っていましたが、そうはいかなかったようです。もう今年で40歳になるんですけどね。(笑)

誠に勝手ながら、毎朝御書及び教学関連の記事は、しばらくお休みとさせていただきます。復活するかどうかは、来年の夏以降に壮年部に進出できた時に考えたいと思います。そんなわけで、しばらくブログの更新は滞ってしまうと思いますが、今後も御書根本の姿勢で信行学に取り組んでいくことに変わりありません。


ともあれ、大聖人の仏法を、また創価三代の思想を学び尽くすには、人生は短すぎると感じています。

「譬(たと)えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩(あゆみ)をさしをきては何として都の月をば詠(なが)め候べき、何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥(いよいよ)法の道理を聴聞(ちょうもん)して信心の歩を運ぶべし。」

P1440 新池御書)


「此の経の心をしれる僧」とは、日蓮大聖人のことであり、御書に肉薄していくことによって、信心を磨くことができます。また、現代で言えば、御書を身で読み、不惜身命で広宣流布を進めてきた創価三代なかんずく池田先生が「此の経の心をしれる僧」と言えます。

臨終のその時まで師匠を求め抜くことによって、来世もまた創価三代の師匠にめぐり会えるのではないでしょうか。

共々に仏法探求の歩みを止めずに突き進んでまいりましょう。

今まで、いろいろとありがとうございました。