本日の御書です。

「而るにさえもん(左衛門)殿は俗の中日本にはかたをならぶべき者もなき法華経の信者なり、(中略)今は左衛門殿を師とせさせ給いて法華経へみちびかれさせ給い候へ」(P1135四条金吾殿女房御返事)


あなたの旦那である四条金吾は、俗の中でも日本に肩を並べる者もいない法華経の信者である。その四条金吾を師匠として法華経に導いてもらいなさいとの仰せです。
よく日顕宗は、在家信者を師匠とするなどけしからん。僧侶を師と仰ぎなさいと主張します。しかし、大聖人の仰せを見れば、分かるとおり、在家・出家の違いではなく、法華経の強信者であるのかどうか、行動者であるのかどうかが師匠とする基準です。日本で肩を並べる者がいない四条金吾を師匠としなさいとの仰せを見るならば、世界中で肩を並べる者がいない広宣流布の大指導者である池田先生を師匠と仰ぐのは当然の帰結です。
誰にも文句を言われる筋合いはありません。