本日の御書です。

「但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれどもすつるとみえて候」(P1135四条金吾殿女房御返事)


これまで法華経を持った人の尊さを述べられてきましたが、信心が弱かったならば諸天に見捨てられてしまうだろうとの仰せです。
形だけでなく、本物の信心を磨く労作業に徹していくことが大事ですね。


先生のご指導
「仏法では、人間としての究極の偉さをどのように説くか。その最終的な尺度をどこにおくか。それは、結局『信心』の二字に帰結する。信心が強盛であるか否か。広布への勇気があるかどうか。行動しているのかどうか。いかなる幹部であろうと、信心がなくなれば広布の指導者ではない。社会的な肩書が何であろうと、真摯な実践がなければ信仰者ではない。そこには、決して真実の福徳は薫らない。いかなる人であれ、『信』を根幹にしていかなければ、すべては空転し、むなしく漂わざるをえないからである。」(1990年1月24日)