本日の御書です。

「されば此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず法華経を持たせ給う人は一切衆生のしう(主)とこそ仏は御らん候らめ」

(P1134四条金吾殿女房御返事)


ひとたび法華経を持ったならば、男女僧尼の差はありません。誰もが尊い仏の当体なのです。御書を学べば学ぶほど、差別主義に凝り固まった日顕宗がどれだけ大聖人から、かけ離れた偏狭な宗派であるかが明らかになります。


先生のご指導
「男女間の差別など仏法の世界にはない。在家・出家の間にも、その尊さに差はないとの明文である。御書には、『日蓮の一門』『日蓮の一類』『日蓮の門下』『日蓮の弟子檀那等』など、繰り返し認めておられる。皆、大御本尊のもとに平等な仏子であり、広宣流布への同志である。これが大聖人の深きお心である。」(1990年1月24日)