本日の御書です。

「問う名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや、答う天台己証の法とは是なり、当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり」(P530立正観抄)


はっきりと法の正体を聞かなければ、勝れた法があると知ることはできないとの問いに対して、天台己証の法とはこのことであり、現代(鎌倉時代)の僧等は、血脈相承を失ってしまったので知らないのである。故にこれは、秘すべし秘すべしの法門であると大聖人は答えられます。
昨日に引き続き、日顕宗が引用したくなるような御文ですね。「血脈相承がなければ理解できないし、法主にだけ相承された秘密の法門があるんだ」ってね。
しかし、これもやはり切り文です。