本日の御書です。

「佐渡の国の流人の僧日蓮弟子等を引率し悪行を巧(たくら)むの由其の聞え有り」(P966法華行者逢難事)


「火のないところに煙は立たず」と言いますが、正義の人を陥れるために「火のないところに煙が立て」続けられてきたのが現実ではないでしょうか。
創価学会を取り巻く非難中傷の数々も火のないところに立ててきた煙ばかりです。デマビラ等を見ると「○○が事実ならば恐ろしいことだ」とか「○○というのが大方の見方である」みたいな感じで、断定した文章をまず見ません。今も昔も変わりませんね。「悪行を巧むの由其の聞え有り」(悪行を企んでいるという噂が聞こえている)ってね。