本日の御書です。

「日蓮だにも是くの如く侍(はべ)るに前後も弁(わきま)へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしと、おぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏(ひとえ)に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し」(P1126呵責謗法滅罪抄)
(日蓮がこのように迫害されているのを見て、女性など仏法を理解していない人々が、日蓮に付き従ったことを、どれほどか後悔しているだろうと心苦しく思っていたのに、案に相違して日蓮よりも強盛な信心があると聞きました。これは、まったくただ事ではありません。教主釈尊が、あなたがたの御心に入り替わられたのかと思えば、感涙を抑えることができません。)


何歳になっても母親の信心には敵いません。この信心の後継者になるのが、最高の親孝行だと思います。


先生のご指導
「いちばん大事な人は、だれか。いちばん尊き人は、だれなのか。それは、雨の日も、風の日も、ただ『広宣流布』のために戦い続けておられる尊き母の皆さまである。この“妙法広布の母”の皆さま方を『仏のごとく』敬い、『仏のごとく』大切にしていくことを、リーダーは、ゆめゆめ忘れてはならない。」(1998年4月25日)