本日の御書です。

「問う次上に引く所の文証・現証・殊勝なり何ぞ神力の一文に執するや、答う此の一文は深意有る故に殊更に吉なり、問う其の深意如何、答う此の文は釈尊、本眷属地涌の菩薩に結要の五字の当体を付属すと説きたまえる文なる故なり」(P514当体義抄)


法華経の神力品で地涌の菩薩は、釈尊から結要付嘱(別付嘱)を受けました。
これは、末法時代に法華経の文底秘沈の大法を弘めるという付嘱です。
戸田先生は、獄中で、この付嘱の場にご自身も集っていたという大確信を得て、広宣流布に全てを捧げました。地涌の菩薩としての自覚が、偉大な生涯を築くのだと思います。


先生のご指導
「自覚―それは、本来、「自ら覚(かく)す」、すなわち、自ら悟りを開くことを意味する。われらの自覚とは、戸田城聖が獄中で悟達したように、自身が地涌の菩薩であると確信し、生涯、師弟不二の心で、広宣流布の大願に生き抜くことだ。全人類の幸福と平和の実現を、わが使命とすることだ。その時、自らの幸福のみを願っていた生命の扉は開かれ、崇高なる“利他”の大道が広がるのである。そこに、境涯革命、人間革命の直道があるのだ。まさに、“地涌の使命”の自覚は、偏狭なエゴイズムの対極に立つ、人間の生き方の確立であるといってよい。」

(新・人間革命「敢闘」の章)