本日の御書です。

「大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ念仏真言禅律等の八宗十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返しせめをとしすれどもかたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし」

(P502如説修行抄)
(大白牛車に乗って、権門をかっぱと破り、あちらへ押しかけこちらに押し寄せ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人を攻めると、或いは逃げ、或いは退き、生け捕られた者は、私の弟子となった。或いは責め返し、攻め落としたりしても、敵は多勢であり、仏の使いは日蓮一人であり、無勢である。今に至るまで戦はやむことがない。)


大聖人の縦横無尽な戦いが目に浮かぶようです。しかし、多勢に無勢であり、その戦いは熾烈なものでした。攻めても攻めても次々に現れる謗法の敵人たち。果てしなく永遠に続くかに思える戦いに直面しても大聖人の闘争の歩みは止まりませんでした。大聖人にとっては、自身の現世安穏など眼中に無かったのでしょう。まさに「難来るを以て安楽と意得可きなり。」(P750)です。
そして、創価三代の歩みもまた同じでした。我々も、その誉れの師匠に連なる身です。これ以上の喜び・幸福があるでしょうか。


先生のご指導
「牧口先生は、たった一人の人に会うために、どこへでも行かれた。老齢の身で、しかも交通の不便な時代に、どこへでも。九州までも足を運ばれた。逮捕されたときも、身に危険が迫っている不穏な情勢のなか、伊豆の下田まで行かれた。そして、一人の学会員の願いに応じて、弘教に歩かれた先での、逮捕であった。この『不惜の精神』に創価学会の原点がある。日蓮仏法における『信心の真髄』がある。歴代会長が、この精神に徹してきたからこそ、これほどまでに福徳にあふれた創価学会の世界ができたのである。今、その世界で活躍でき、幸福になっていけることが、どれほどありがたいことか。」(1998年1月25日)