その日は確か…脈が乱れていました。
兄は朝から外出しました。
気持ちとは反対のところで母を送り出す準備に取り掛かっていました。
葬儀社を決めることです。
私はずっと母の手を握っていました。
いつもそばから離れられなかった。
辛いことを全部兄にしてもらった。
わがままな妹でごめんね。
夜勤の看護師さんにも少し脈が…とか心臓が…とか言われたけど、
私は現実と思えなくて今思えばずっと心と体がちぐはぐだった。
日勤のトリンドル玲奈似の看護師が酸素量や手足の色などを見に来て、
「お兄さんは…⁉」と聞くので、外出している、直ぐに戻れる、とかいう会話をしたはず。
「少し血圧が下がってきたので戻ってきてもらった方がいいかも知れない」と言われたので、その時点で兄と母の友達に一報は入れた。
それでも心と体は私のものではないみたいに〈他人事〉を決め込んでいた。
戻って口腔ケアをしようと酸素マスクを外してスポンジでくるくるすると、いつもは嫌がりそのスポンジを噛んでしまうのに、その日は抵抗しなかったと思う。
そして脈を見ていたトリンドルが
「あっお兄さんをすぐに呼んでください!」と言う。
すぐ戻ってきて!!!!とだけ電話して母の顔を見ると、すでに呼吸はとてもゆっくりになっていました。
たくさんのお礼を耳元で言いました。
この7ヶ月、キリを頼りにしてくれて本当に嬉しかった。
そして「深呼吸してー!お兄ちゃんがもうすぐ戻るけもう少し頑張ってー」と言い続けました。
私の声は母に届いていました。
両手で母の左手をずっと握っていましたが、母はその手をぎゅーーーっっと握って延ばしたのです!
「えっ…⁉」私は泣き止み、母の顔を見ました。
すると、母は目をぎゅーーーっと瞑りました。
今思うに、それが逝ってしまった瞬間でした。
それでも私はずっと兄ちゃんが来るよー頑張ってー!と言い続け、兄が到着して30分ほどはベッドの脇から立てなかった。
そして主治医、担当医、師長、揃ったところで死亡確認をして貰いました。
その時ですら私は心の中で「ね⁉嘘やろ⁉ 生きてるやろ?」って言ってました。
でも母はもう息をしなかった。
それからは死化粧をしました。
入れ歯を10日の夜洗ったまま、入れてあげなかったので後悔しました。
もう口が硬くなって入らなかった。
でも苦痛から解放されたばかりの母の顔は笑っているので、歯が無いのがバレちゃうよーおかーさーんとか言いながらチークを塗ってあげました。
私はそのあと一週間、まだ〈他人事〉を決め込んでいました。
呆気にとられるという言葉がしっくり来ます。
本当は使い方は違ってるけど。
心にあいた穴が大きすぎて開いた口が塞がらないんです。
これも使い方ちがうんだろうけど。
3週間ほど経った今、母が何処にも居ないのを少しずつ毎日突きつけられています。
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