あれは26歳くらいの時だったのではないか?と思います。夜の11時30分頃、ベッドの中で突如ある事に思いあたり、飛び起き、着替えて家から3分程の巌窟不動(いわやふどう)にお参りに行きました。真夜中の12時近かったと思います。

季節は10月か11月頃だったように思います。

巌窟不動(いわやふどう)と言うのは「やぐら」と言われる四畳半くらいの洞穴(ほらあな)の中に高さ1メートル程の石仏のお不動様が祀られているだけの、お寺でもなく、お堂でもない、極端に言えば古い街道沿いにあるお地蔵さんの様な全く無名の旧跡です。

こうした「やぐら」と言われる洞穴(ほらあな)は鎌倉にはあちこちにあります。鎌倉五山の寿福寺の裏手の墓地に行くと、この「やぐら」を墓所にした鎌倉時代のお墓が沢山みられます。北条政子と実朝の墓も、そうしたお墓の一つです。

ただこの巌窟(いわや)不動尊の場合は、お不動様の石像だけで石塔や墓標が無いのでお墓ではなかったようです。

場所は鎌倉駅前の小町通りを真っ直ぐ進み八幡様の方に出る広い道の手前、“鉄の井”を右に見て反対の左に曲がって寿福寺の方に続く道沿いにあります。巌窟(いわや)不動の入口には不動茶屋と言う小さなお店があり、店の横に奥の崖下に続く細い通路があり、その行き止まりが山の崖下になっていて、大人が屈んで入れるほどの洞穴があります。そこにお不動様の石像が祀られていたのです。

その夜私は、ベッドの中に入っていたのですが、何とはなくその洞穴(ほらあな)のお不動様の事を思い浮かべていましたが、そこで、ハッとしたのです。

もしかしたら、自分の周りにはいつもお不動様がいるのではないか?

そして自分を守ってくれているのではないか?と思ったのです。

それは、その時同時にふと15歳の時に夢で見たお不動様の事が思い出されたからでした。その夢の中のお不動様と言うのは台座も含めると3メートル程の大きな坐像のお不動様で、身体は黒々として、しかもまるで生きているかの様に眼光鋭く、真っ直ぐに前を見据えていて、更に何より凄いのは、お不動様の光背(こうはい)が作り物ではなく本物の火炎(かえん)が立ち昇っているのです。仏像の背中には光背(こうはい)と言うものがついています。お不動様の場合は、絵でも彫刻でも、赤い炎になっているのですが、それがそのお不動様の場合、本当の火が燃やされていて大きな炎を上げていたのです。それだけでなく、お不動様の前には護摩壇があり火炎(かえん)が上がっているので、お不動様の前と後ろで本物の火炎(かえん)が立ち上っているのです。特に後ろの方の火炎は、2メートルもある不動明王の背中より高く火炎が上がっているので3メートルは燃え上がっている事になります。然も、そのお不動様がある洞窟は、大きな滝の裏側になっているのです。

参拝者は滝の横にある崖の中腹を削って造られた、滝の裏側迄繋がっている人一人がやっと通れる参拝道を通って滝の裏側にある大きな洞穴に行く事ができる様になっているのです。ただその洞窟は、天井迄5メートルもあるような大きな洞窟なので、お不動様の背中で3メートルもの炎が舞い上がっていても全く問題が無いのです。

不思議なのは、それほどの炎が上がっているのに、つまり燃え盛る火事の現場にいる様なものなのに、なぜか熱さを感じない炎なのです。

その日、ベッドに入ってから何とは無しに巌窟(いわや)不動尊の事を思い浮かべた時に、急にその夢の事が思い出されて、ハッとした訳です。

その夢のお不動様のお姿と滝のある光景は今もハッキリと覚えています。

さて、寝静まった家の裏口からそっと出て、巌窟(いわや)不動に行きました。真夜中の12時近く。勿論、誰も歩いておらず人家の明かりも消えています。茶屋の横の、山裾から張り出している岩を利用した細い通路を奥の洞窟に向かって上りかけた途端、足が止まりました。

行こうとしている奥の洞窟の中から明かりが見えたのです。

もしかして、誰かいるのだろうか?

こんな夜中にお参りする人がいるのだろうか?

茶屋の人か?

いつもそこでお経を上げているあの信者の人か?

などと思いながら恐る恐る近づくとそこには誰もいませんでした。

が、直ぐにハッと息を呑みました。

そこには、お寺によくあるお参りの人用に何本もの蝋燭が立てられる蝋燭台が真ん中と左右と3台あるのですが、その全部に蝋燭が灯っていたのです。

然も、そのほとんどの蝋燭が、火を点けて未だ2分も経っていないのではないか?と言うくらい蝋燭の白い部分が同じ様な長さで長く残っているのです。

一体、誰が?

間違いなく誰かが点けて行ったのには違いありません。

それも、私が行くほんの2、3分前に。

おそらく時間的に全部の蝋燭に火を灯して、手を合わせて、お経を上げる事もなく帰って行ったのでしょう…。と初めは思いました。

然し、あれだけの量の蝋燭に火を点けたのであれば、初めに点けた蝋燭と、最後に点けた蝋燭とでは残りの部分、白い部分の長さが間違いなく違っているはずです。

それが、殆どの蝋燭の白い部分の長さが同じなのです。

たしか、1本か2本、他の蝋燭より時間が少し経過していた感じでした。然し他の百本近い蝋燭は、何人かで一斉に点けない限り、あの様に均一な長さになるはずはないと思いました。と思った途端に鳥肌が立ちました。

急いで般若心経を恐怖心と闘いながらあげました。

もう少しこの不思議な空間にいたいと言う思いもありましたが、何処かここに長くいてはいけないと言う思いがあり、立ち去る事にしました。

それにしても、もし先に誰かが来て、お参りして帰ったのだとしたら、私の家からは3分くらいの所ですから、我が家の方に住んでいる人であれば、お参りして帰る時にすれ違ったはずです。

と言う事は、もし誰かが来ていたとしたのなら、恐らくは寿福寺側の方に住んでいる人だったのかもしれません。

それにしても、こんな真夜中に…。何をお参りしていたのだろう? 

あの、いつもの信者さんがここで、実は真夜中に行を行っていたのだろうか?

と、興味は尽きませんでした。或いはお茶屋の人が、毎夜お勤めをしているのか?

翌日、その謎を解明すべく、少し早めの時間に、行ってみる事にしました。23時35分。すると真っ暗でした。

昨日の明明(あかあか)と輝いていたのが嘘のように、

ただ漆黒の闇しかありませんでした。

然し、この漆黒の闇の中で、あれだけの蝋燭に火を点すのにはかなりの時間が必要だったはずです。まして真っ暗な中で一つ一つ灯してゆくのは簡単ではないはずです。

では、一体誰が?

どうやって?

何のために?

益々、不思議な想いが募ります。

二、三日して昼間に行ってみました。

お茶屋さんの人に聞くと、

夜中にお参りする習慣はないし、夜中にお参りに来る人はいない。

いつも来てお経を上げていく人は、お坊さんでも行者でもなく、普通の信者さんで、いつも昼間にしか来ない。

ただ、いつ来るかは分からないとの事でした。

ただ、夜中にそんな風にお参りに来られて、万が一火事になったら困ると心配していました。

後日、その定期的にお参りに来る信者さんが来ているのを見つけ、夜中にお参りする事はありますか?と聞くとそれはしないとの事でした。家も遠いと言っていた様な気がします。

なら、あの蝋燭の灯は何だったのか?

何とも不思議な、何とも言えない、ですがとても美しい、神秘的な光景でした。

2011年の東日本大震災で、崖崩れの恐れがあるからと言うことで、鎌倉市によってその巌窟(いわや)不動の洞穴(ほらあな)は封鎖され、お不動様の石像は表に出されて、今は茶屋の横に建てられた祠の中に安置されています。