お察しの通り、私の名前“霧立のぼる“は

百人一首の寂蓮法師の有名な歌からとったものです。 


“村雨の露もまだ干ぬ槇の葉に霧たちのぼる秋の夕暮れ“


十数年前、この“霧たちのぼる秋の夕暮れ“が頭から離れなくなることがありました。一日のうちに、何かというと頭の中にポカリと浮かび上がってくるのです。確かに百人一首に選ばれた歌には自動的にインプットされてしまう様な、魔力的な言葉が入った歌がいくつもありますね。

しづ心なく 花の散るらむ

世をうぢ山と人は言うなり

知るも知らぬも逢う坂の関

などなど。

然し、この“霧たちのぼる”について、私にはチョット不思議な体験がありました。

2009年11月1日に私はこの“霧たちのぼる“の言葉通りの光景を目の当たりにしたのです。

それも槙の葉どころか、山のここかしこから、もうもうと白い煙が一斉に立ち上がっているのです。それは初めて見る光景でまさに壮観でした。

その時は、人生3回目のお伊勢参りで内宮さまのお参りを終え、月読宮から、松尾観音寺へお参りに行った帰りでした。松尾観音寺のお参りを終え、観音様の裏手にある龍神が棲むと言う二つの池を見て、そこから徒歩で近鉄五十鈴川駅に向かって歩くことにしました。タクシーアプリもない時代。勿論流しのタクシーなどありません。かなりの距離がありましたが,内宮前で乗ったタクシーは月読宮で待ってもらい松尾観音寺迄で返してしまったので、歩くより他ありません。

事前にプリントアウトしていた地図だけが頼りです。

松尾観音寺を出た時に、ぽつッときました。池がなかなか分からず、辿りついた時にはぽつぽつときていました。

池は、深く静かな何とも言えぬ気配を漂わせていました。雨も気になり、何とか南勢バイパスの県道23号線まできて、後は近鉄五十鈴川駅迄は真っ直ぐのはずだとひたすら歩いていました。

ひたすら歩いて、伊勢総合病院前の信号迄来た時には普通に降りだしてきていました。ただ、まだ弱い雨でしたのであまり気に留めませんでしたが、空の雲が、渦巻きの様に、さかまく波の様に異様な動きをしていて、まるで雲間から龍が躍り出てきそうな感じでした。そうか…松尾観音寺にお参りに行って、龍神池を見て挨拶をしたからか?と思いました。

私には、龍神が「よく来たな」と言ってくれている様な気がしてならなかったからです。それほど、見た事がないような、異様な雲の動きだったからです。

咄嗟に写真を撮ろうと、カメラに手をやりましたが、やめました。失礼に当たると思ったからです。

さて、印刷した地図通りに歩いてはいたのですが、中々駅の気配が感じられません。少し不安になりました。こっちの方で間違い無いんだよな…と思いながら歩き続けていると、どこで合流したのか?5,6メートルくらい後ろから4・5人の二十代の女性のグループが歩いてきたのに気付きました。

私はそのまま歩いていたのですが、駅にちゃんと向かっているのか?ちょっと不安になり、振り返って近鉄五十鈴川駅はこちらで良いのでしょうか?と聞くと「間違いありません。私達も同じ方向に行きますから大丈夫ですよ。」と言ってくれました。そして、「大分濡れていますね。宜しかったら傘に一緒に入りませんか?」と言ってくれましたが、私はてらいもあり、又そんな若い女性の傘に入るのは申し訳ないと思い「大丈夫です。ありがとうございました。」と踵を返して、先にスタスタと早足に教えてくれた駅の方へと向かいました。

程なく駅に着きました。

気がつくと結構上着もズボンも濡れているのに気が付きました。ふと、さっきの女の子達はどうしたかな?と振り返るとどこにもそれらしい一団はいませんでした。彼らの行先は駅でなかったのかもしれません。同じ方向に行くとは言っていたけど、途中でどこか違う所に行ったのかもしれません。然し、4・5人の集団で入る様な所がここまで来る途中にあっただろうか?それらしき建物やお店は見当たらなかったと思います。勿論、後から駅に入ってきた様子はありません。

いずれにせよ、不思議な忘れられない体験でした。

私は何とかこの時のことを形に残せないか?特に“霧たちのぼる“を盛り込めないか?とずっと思っていましたが、こんな俳句にしてみました。


龍神や 霧たちのぼる 島路山


島路山と言うのは伊勢神宮の内宮を取り囲む様な小高い山なのですが、松尾観音寺から五十鈴川駅に向かう途中で真正面に見えるのがこの島路山なのです。そう

山のあちこちから白い煙が立ち上っていたと言う山です。ですから、その時見た通りの、そのままの光景を詠みました。

本来、他人が作った文言をそのまま使うのは御法度ではないかと思いますが、敢えてこの“霧たちのぼる”を使いたかったのです。

そして、龍神は雨を降らします。私は雨男ではないのですが、どうも昔から龍とご縁がある様に感じていました。なので、どこかで「霧たちのぼる」と言う言葉を名前として使いたかったのです。