それにしても、何故、大矢市次郎さんの事がいきなり思い出されたのか?不思議です。

おまけにそれが、何十年もの間自分の中で謎だった黒柳徹子さんと加藤大介さん、それと水谷八重子さんと柳英二郎さんの、あのやり取りに結びついて、結局それによってあの長年の謎の答えが見つかった訳ですから。でも、そのキッカケとなるようなものが無いのです。何か朧げではあるけど、それに近いモノがあったような、無いような…。

そんな五里霧中の中で、ずっとモヤモヤした感じでいたのですが、心の中に小さな光源を見つけました。

それを辿るように突き詰めていくと、「俳優に向いていないんじゃないー2」で書いた、私は本来俳優に向いていないんじゃないか?そもそも元から自分の要素の中に無かったものを目指そうとしてきたのではないか?

言わば、座標軸がズレたままここまで50年も経ってしまったのではないか?と思い始めていたことに気付きました。

ふとその時、もしかしたら泉下の大矢市次郎さんが、そんな私にメッセージを送ってくれたのではないか…。と言う思いが、頭の片隅に浮かびました。

大矢さんから、

『おい!何を考えてるんだよ。お前さんが居る所はまだ序の口じゃないか?そんなとこでチャプチャプして簡単に諦めちゃっちゃあいけないよ。この道は、何歳だろうが、やってる年月も関係ないんだ。お前さんの心がけ一つでどうとでも変わるもんなんだよ!』と。それを言う為に、わざわざ私のために出て来てくださったんじゃないか?…って…。こう言うと「おいおい、お前はどこまで自分に都合よく出来てんだ!?」と笑われそうですが…。

ともかく、改めて大矢市次郎さんの事をwebで調べて見ると、著書もあったので、早速Amazon で注文した所、またしてもハッとする様な言葉が綴られていました。

その著書の最後の方で、これまで共演した名だたる女優さん達の人間としての素晴らしさと、持っている芸、演技の素晴らしさが書かれているのですが、その最後に締め括る様に「こうしてふり返ってみると、どのひとも、どのひとも、共通していることはただ一つ、『自分をよく知っている』という事でありましょう」と書かれていたのです。

これは、私にとっては少なからずショックとなる言葉でした。

私が俳優を目指して以来50年間、2つの大きな謎、宿題を抱えてきました。

一つは、ずっとお話しして来ているK先生から「君は自意識が邪魔して俳優には向いてないみたいだね。」と言われた事。これは最近になってようやく分かりました。

もう一つは、28歳の時TBSの大山勝美プロデューサーから言われた言葉です。

「君は、自分の一番良いところを知らないみたいだね。自分で分かってないみたいだ…。」と言われた事です。

今から40年前、TV局のTBSで大山さんをトップに、TBSのプロデューサーの方達が中心となって、TV局とは関係無く、プロデューサーさん達だけで、テレビ時代に通用する若い新人を、出身ジャンルを問わず発掘してみようという「緑山塾」と言うワークショップを立ち上げたのです。まず試験的に1期〜4期まで、1期間半年という短期間でドラマの1シーンまでやってみるというものでした。今でもテレビで活躍されている人が何人かいらっしゃいます。そこには、新劇の劇団の研究生、大手のモデル事務所から来たファッションモデル、映画や、ドラマに既に何本も出演している人、全くの素人と、いろんな人達が集まっていました。

半年間で、新劇の劇団が2年かけて行う研修の中から、いくつかをピックアップし、且つ超高速で、特にTVドラマで必要となる演技指導を行なうというものでした。劇団の様に演劇人を育てるという目的ではありません。芝居ができる、できないと言うよりはTVドラマで即戦力となる“光る個性”を持ってるか?どうか?を確かめる場と言った方が的を得ているかと思います。

その最終授業で、ドラマの1シーンを行い、大山さんを中心に幹部のプロデューサー3人から講評をもらって終了。担当したプロデューサーの方が、ちょっと興味があるとか、もう少し見てみたいと言う人がいたら、その後個別にお声が掛かると言うものでした。

その最後の講評の時に、私は大山さんから「君は、自分の一番良いところを知らないみたいだね。自分で分かってないみたいだ…」と言われたのです。それは大きな謎となって覆い被さって来ました。

私は、その後Fさんと言うプロデューサーからお声が掛かりドラマのお仕事をさせていただきました。当時有名な美人女優が演じる主人公にプロポーズして振られる青年医師の役でした。

丁度その頃、日本テレビで看板番組になっていた2時間枠の『火曜サスペンス劇場』にも準主役で出演させていただいていました。

そのドラマのあらすじは、鎌倉の閑静な住宅街にある囲碁九段の家に猟銃を持った男達が強盗に入ります。

前日に横浜の猟銃店を襲った二人組です。二人は家族を脅して、お前の家の秘密を知っていると恐喝し、口止め料を要求します。その犯人に対峙していくのが、その事件の後で海外から帰国した一流商社マンの主人公。ところが、その恐喝犯が次々に殺されていきます。謎の第三の犯人がいる。それを追って行くと言うストーリーです。そしてその第三の犯人は実は、弟(私)だったと言うドラマでした。

私はどちらも全力でやり切ったのですが、自分なりに達成感はありましたが、何か満足感は得られませんでした。

むしろ自分に対する自信のなさが勝り、疑心暗鬼にかられ、挙句、結局自分は向いていないのだ。

お前は本当に演劇が好きなのか?と自問する様になっていきました。

と言うのも、緑山に集まってきた人達を見てると、有名な劇団の研究生やモデルや小さな事務所から来ている役者志望の女の子達、中には全く素人の人であっても、あれでよくあんな自信が持てるな!?と、びっくりするやら呆れるやらで、感心と言うより、食傷気味になっていたのです。

どうしてあんな風になれるんだろう?あんな事を言えるんだ?きっと彼らは三度の飯より自分を見せる事が好きなのだ。芝居が好きと言うより見せたい人達なのだ。“僕はとてもあんな風にはなれない!僕は彼らとは違う!”

では、お前は何者なのだ?

芝居をする事が本当に好きなのか?

それが重石の様に心にのしかかってきました。

挙句に、自分以外の演劇に携わる人は皆、『きっと演技すると言うことが、芝居する事が、好きで好きでしょうがない人達なんだ。だからこそ彼らは、この世界にいる事が許されるんだ。それは有名、無名、成功していようと無かろうと関係無く!僕とはそこが違うのだ!』と思い込む様になったのです。

今思うと、ここでも自意識が強かったのだと思います。

挙句自分で勝手に、演劇の神様が「お前はこっちの世界に入って来てはいけない!」と言っているのだと思い込む様になってしまい、それから20 年、芸能の世界からは一切遠ざかっていました。

ただ、大山さんから言われたあの時の言葉の意味は、今も解けずにいます。それでも今は大分、その苦しい思いからは解き放たれてはいますが、40年前の当時はずっと心の奥底に、呪文が書かれた呪い札の様に貼り付いていました。

私が演劇を封印したその時から20 年後、中学からの友達が出演していたSwicaと言う劇団の芝居を観て自分の心の中の何かが変わり、今のモデル事務所のオーディションを受け、今はもっぱらモデルのお仕事をさせてもらっている訳です。ところが、ここにきていきなり大矢市次郎さんの「演技」と、あの「言葉」、共演した名だたる女優さん達を評して「共通して言えるのは、みなさん、ご自分をよく知っている」と言う言葉が、いきなり私の目の前に出て来た訳です。

私は、まだその意味をよく咀嚼できていませんが、きっとこれは神様からの何かの啓示に違いないと思っています。

こうしてみると、私の俳優としての立ち位置は、現在は全く無いに等しい訳ですが、立ち位置があろうと無かろうと、私が人生を送る上で一つの目的として、もがいてきた道であり、何処へ続く道かは分かりませんが、自分と向き合い、格闘してきた道である事には違いありません。 

私にとって俳優の道というのは、人間として人間道を求めて行くのが天から与えられた使命とするならば、その道程を測る格好の物差しとなっているのではないかと思います。

それだけではありません。生きて行くためには稼がなければなりません。まだまだ俳優モデルの道だけで食べて行くことはできませんから、普通の会社の営業マンとしての生活もあります。また、古武道の長刀も先代から受け継いだものを次代の人達に間違いなく伝えていかなければなりません。

そうした事全てが、私の人生の道になっている訳ですから、ドン・キホーテだったとしても、俳優という“見果てぬ夢”に向かって進み行く道程で学ぶ事が、結果的に”人生の一本の道”になっているのだと思います。

今回の大矢市次郎さんの出現が、私に何を伝えようとしているのか?どう言う意味を持つものなのか?これからも考えていこうと思います。