正月、改めて思った。満で数えると私は今年70歳。歳を数えで言えば、去年既に70歳、古希になっていたのだ。

昔は70歳と言えば立派な老人だった。今、実際に自分がその歳になっても、なかなか実感が湧かないと思っていた。「自分は老人なんだ」と言う実感ができないでいた。ところが1月7日に突然それと気がついた事は「老人となった日」で既に書いた。父が亡くなったのが79歳。その歳まで後9年しか無い事に今更ながらに気が付いた。

勿論、父と同じ79歳で人生が終わるとは限らないし、ひょっとしたら100歳まで生きるかもしれない。

ただ、70歳になると言う事で、父が亡くなった79歳と言う年齢が、例えは悪いが、駅伝で前のランナーがようやく目で目視出来るところまで追いついてきたと言うような、そんな感じになったのだ。

もっと言うと、自分の最後の時、“そのもの”が目視出来る“とば口”に立ったと言う事なのかもしれない。

前に書いたように、今思うとその前兆は去年の夏頃からあったのだが、1月7日に不意にそうした気持ちになったのだ。キッカケは1月2日にロンドンにいる“U”とLINEで長電話した最後にお互いが「元気でいろよな」で締めくくり、翌日「ありがとう、楽しかったよ」と互いにLINEした事だ。

Uは中学、高校の時の同学年で、同じクラスになったことはなかったが、気のおけない仲間の一人だった。それが彼がロンドンに行って10年程経った55歳を過ぎたあたりから、今まで以上に互いに気心が知れるようになり、頻繁にLINEでやり取りするようになった。

その彼と12月5日に4時間ほど話し、1月2日にまた4時間程話した。話終わってふと思った。70歳になる爺さん二人が電話で4時間も長話しするってあるのかな…?と。

そして、最後にはお互い「元気でな」「元気でいろよな」で締めくくる。ここに引っかかったのだ。これはお互いが暗に「先に死ぬなよな…」と言っているのと同じではないのか?と。

つまり、互いに心の中で『お前が先に死んだら、誰が俺の話を聞いてくれるんだよ!?』と言っているのでは無いか?と思えたのだ。

本人たちの中学時代の事とか、そこから今に至る様々なエピソードや共通の話や価値観の共有となると、いかに家族でも分からない。共有するのは不可能だ。だからこそ出てきた言葉なのだと、その時感じた。

と言う事は、もしかして互いに自分の最後のその時を無意識のうちに、心のどこかで意識してたと言うより、視野に入れていたのではないか?

肉体的に身体の中で起きている変化に気付くだけでなく、そうした精神的な、心理面での変化と言うものが、今徐々に表面化してきつつあるのではないか?と。そうなると、いよいよ、ぼんやりとではなく、より現実的な事として「自分は後、何年生きられるのだろう?」と思うのだ。