こんにちは、霧雨工房のくーこです。

今日はご縁のある方からの呼びかけで無我のお茶会、通称(?)無茶会というのに
行ってきました。
と、こう書くとなんだかすごいことをやっていそうな感じもしますが、
なんのことはありません。
内観クラスタの皆で集まってちょっとお茶でも…という感じのゆる~い会です。
参加された方は皆さん内観をきっちりされている方ばかりなのもあって、
とてもなごやかで和気藹々としたとても楽しい会でした。


さて、そんな会でのことです。
ある参加者の方が、ご自身で悩まれていることを話してくださったのですね。
それに対して他の方がそれぞれにアドバイスだったり問いかけだったりをしてるのを、
私はふむふむと聞いてたわけです。

「それはどうしてだろうね?」という問いが投げられていたときに、
なにやら急に胸の奥からせり上がってくるものがありまして、
突き動かされる感じで「ちょっと良いですか?」と私の見解を述べさせて
いただいた…という流れがあったのですよ。

話している最中は、喉が締め付けられるように苦しいし、鳩尾~下腹部?にかけて
ぐるぐる熱くて重くてしんどくて、誰もわかってくれない怒りと、わかれよ!という
怒り、(自分の問題点を?)言ってほしいけど言ってほしくないという矛盾した
強い思いがあったり
で、なんというか、くたびれました。

どうにかこうにか伝えきった後は割とするっと体がもとに戻ってくれたので、
なんだったんだろう?と思いながらもすぐ忘れ(笑)また談笑に戻ったわけです。


…で、しばらく経って、先ほどの相談タイムの後から参加された方がふたり、
相談者の方に下位チャクラの話グラウンディングの話とを、それぞれ続けて
話しかけたのです。
それも、なんの前触れもなく。

そこで私、「あぁそうか!」と思って笑っちゃったんですよね。
その時は言葉になるより全然早い、衝動的な笑いだったのですが、意識としては
「あぁ、せっかく私が言わないでいたのに言っちゃったね!」という感じで、
わけのわからない納得感がすごくありました。
それはつまり、先ほど感じた圧迫感は、相談者のものを私が受け取って感じていたもの
だった!と腑に落ちた瞬間
だったのでした。

今までいろんな方のブログやらでエンパスという言葉は見聞きしていて、
エンパスの人って大変そうだな~ってものすごい他人事だったのに、
まさかまさかでございます…。


多分ね、私が自分はエンパスじゃないと思っていたのは、体調などに出るはでるけど、
それは一時的なもので、するっと抜けて私の中に留まり続けるということがなかった

から。
それを言葉にするならば、センターにいる状態、グラウンディングができている状態、
あるいは無の状態
…とかになるのかな。

私がよく言われる言葉に「ブレない」というのがあるのですが、ブレずに中心に
戻っていたから幾ら影響を受けても一過性のものにすぎず問題たりえなかった

ということなのでしょう。

そんなわけで、本日は私が実はエンパスだったと初めてわかった日になりました。
とはいえやっぱり自分事にはなりませんので、特に今までと変わる事はないんだけども。


自分のものでも他人のものでも、感情を受け取ってしまうことは苦しいことが
多いですよね。
そんな時はまず気持ちを落ち着けて、いま感じている感情を客観的にみてみてください。
いま自分が怒っている、と感じたとして、その原因は?
あなたの中に見つからなければ「怒ってるのは私じゃないかも」と思ってみましょう。
自分の輪郭を鉛筆でなぞって、少しずつ濃くしていくように、
境界線を引いてみましょう。


あなたがあなたのことだけをまっすぐ見つめていられるように。

kirisamekobo160308


ではでは。
 
くーこ 拝


後日談。
たまたまお会いしたさとこさんに上記の話をしてみたところ、
「エンパスどころか超精密なセンサーだよ!!」というお墨付きをいただきました…。
あらま。