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新しき世界へ

私たちは母なる地球の元に生かされて存在しています。
宇宙、自然、生命から「調和」「秩序」「法則」を学ぼう。

囲碁は陣地が多いほうが勝つゲームである。

将棋は相手の王様を詰ましたほうが勝つゲームである。

しかし囲碁も将棋も直接法ではうまくいかない。


囲碁で言えば自分の陣地を囲っているのでは勝てないし、将棋で言えば相手の王様を直接攻めてもうまくいかない。

その前にやるべきことがある。やるべきこととは何か。


囲碁で言えば自分の打った石を最大限に働かせるように打つということであり、将棋で言えばすべての駒の活用を考えるということだ。


そこから学べるものは調和という自然の法則であり宇宙の叡智に通じるものがある。


地球を盤に見立て、人間を石や駒に例えればどのような世界であるのが理想なのかよくわかる。


端折って言えば、すべての生命が最大限に働くようにお手伝いする社会である。

囲碁も将棋も可能性のある方、未来のある方向に向かって着手するようになっている。


未来のある子供たちは新たな可能性を社会にもたらしてくれる人類共通の財産であり、子供たちの才能を開花させるように社会は子供たちにエネルギーを注いでいかなければならない。


今の社会はすべてが真逆になっているのが分かるだろう。

教育によって子供たちの才能を潰し、さらに奨学金という名の借金を背負わせる。

派遣労働によって人間を使い捨てる。

原発事故で放射能が漏れていても、誰も責任を取らないし反省もしない。


はっきり言って今の社会は腐りきっている。


天に向かって「こんな局面にしてしまってごめんなさい。負けました。」と投了するしかない局面になっているだろう。


宇宙は秩序、調和、 法則でできている。


例えば囲碁、将棋、麻雀は多くの人々にとっては、ただの遊びの対象でしかないが、それらを突き詰めるほど学んでプロと言えるほどの達人に達した人々は、そこに宇宙の理法、法則を見出すのだ。


強いから勝つのではない。

強い人は調和、法則に乗って負けない手を打ち続ける人だ。

結果として相手がミスをして勝つことができるのだ。


本当に強い人は謙虚になる。

自分もまたミスをしてしまう未熟な人間であることをよく知っているし、一生精進学んでいく姿勢を持っている。

 

ああ 天地の心 それを創造した心ー

みずから孕み みずからを生み みずからを形となしてその目に隠れ

形の内部からうちよせる波 形の外部へとひきかえす波 呼吸 生命

有 無量

万象としては生きる姿 われわれのなかに在ってはその理由

この途方もない精神を誰に説くことができるだろう

われわれはわれわれの内部から または万物の営みからこの心を想いやる

誰も知らない遠い母を みなし子が慕うように想いやる

われわれはなぜ不足や不満として生まれおち 満ちることに育たなければならないか

そしてまたなぜ星々とおなじように引く力を与えられ 自己の保有をそれに依存しなければならないか

ああ 形ずけられたものの世界は片側の性であり

その一方は おのれの心のなかにしかいないからだ

なぜなら形は無形を運動は安定を そしてわれわれの足はおのずから

方向を持ち 前方を知り はるかなものをめざすようさだめられてはいないだろうか

闇が光と 不全が全と そしておそらくは異性が異性と引き合うように

形において遠いものほど心においては近いのだ

われわれは見えない世界を汲みあげて 徐々に満たしゆく空(から)の器

この灼熱の渇きと希望を孤独に歩くことによってしか ふたたびふるさとに立つことはない


                        石橋千濤詩集 荘厳歌より抜粋

達磨(ダルマ)とは私たち一人一人の内なる神性を象徴している。


私たちの内部には手足のない目も塞がれている達磨(神性)が存在している。


神性を磨いて達すれば目を開くことができる。


そして人は神性の手足となって生きるようになる。

仏教では、多くの民衆は六道輪廻の世界に住んでいると説かれている。

聖書の黙示録では、獣の数字の666は人間をさしていると書かれている。


数字の6は人間を表していると言える。


さらに7、8、9と神の世界に通じているわけだけど、数字の666とは人間を神の世界に向かわせないという悪魔の強い意志を感じ取ることができるだろう。


民主主義、共産主義、資本主義、等の何が間違っているかといえば666という人間の世界だけで完結させて、7,8,9と続く神の世界を無視しているからだ。


人間の世界だけで完結させては、人は権力を持とうが有り余るほどのお金を持とうが結局は根無し草であり心の平安を得ることはできない。


結局666の世界だけでは誰ひとり真の幸せになることができない。


生命の根源である創造主という源に帰ることによってのみ人は大地、自然、宇宙と一体となり真の平安を得ることができるのだ。