夕日を受けてその姿を見せてくれたのは、思わず目を瞠るほどの美しい曲線美で海に掛かる大きな橋だった。
「明石海峡大橋ですよ」・・そばにいた地元の人が答えてくれた。
2016年に神戸に行ったときの感動だった。
神戸から淡路島へとつながる悲願の橋
その時の写真がスマホの中に確かにあるのだがうずもれてしまって見つけることができない。
そんな時に、NHKのプロジェクトXで特集が組まれた。
島と本土をつなぐこの橋は約4キロメートルの長さを持つ高速道だ。
暮れゆくこの明石海峡大橋を実際に舞子ビラから見たときに、あまりの美しさに言葉を失うほどだった。
完全なる人工美
それが自然なる海峡を挟んで島へと伸びている。
高速の騒音もないままに暮れゆく海の道を車が動いていく。
いつかこの橋を渡ってみようと心に決めていた。
まるで橋の向こうには私の知らない別天地があるような気がした。
歌友数人とシャンソンのシニア部門のコンクールにでた。
毎年神戸で開催されるシニアのコンクールだ。
旅行気分とコンクールの緊張感がない交ぜになり、いったい誰と一緒だったか記憶があいまいになっているのだが、それでも出石からご夫婦で駆けつけてくださった「そば庄」のオーナーとの再会があり、大都会神戸のそして大阪の名所旧跡を巡る意義深い旅ができた。
阪神大地震があった時には既に基礎の部分の工事が始まっていたという明石海峡大橋
「シニアシャンソンコンクール」60歳からのシャンソン・・といううたい文句がついていた。
60歳以上のシャンソン愛好家たちのシャンソンコンクール。
神戸の恒例人気イベントのひとつだったが、世の流れとともになくなり現在は行われていない。
挨拶の言葉の中には「シャンソンは70歳から」という言葉が、この言葉の存在を知った人たちにはほっとする言葉だったのだ。
70歳からでも何かできる。
それだったら私もやったらできるかもしれない。
そう思って歌い始めた人たちを多く知っている。
まだまだ60~70代は元気盛り。
持っていたエネルギーが一気に活性化し、歌うという第2の人生が輝き始めた人たちをたくさん知っている。
豊岡市の出石の「そば庄」のオーナー夫妻がわざわざきてくださったこともあり、私自身も勇気づけられて日頃のように歌うことができた。
結果「魅力賞」なるものをいただき、壇上で賞状と盾をいただいた。
その会場の舞子ビラからのこの橋の眺めはそういう賞を受けたこともあり一層思いの深い景色となった。
海峡を渡るこの人工美の極致、美しい流線型の吊り橋の景色は忘れ難い私の宝物のひとつになった。
いつかこの橋を渡ろうと秘かに決めたつもりだったが、いまだにその夢は実現しないままだ。
それでもいいと、この頃は思うようになっている。
渡ろうがわたるまいがその夢は美しいままに私の中に居続ける。
それで十分。
テレビ画面の中では海峡を渡すこの偉大な難工事が人知を尽くして完成していく様子を映していく。
不可能の中から可能を見つけ出していくこの究極の人知、それを成し遂げていく人々への畏敬と憧憬。
どこにでもある橋の数々。
そのなかのこの「明石海峡大橋」が私にとってシャンソンのコンクールとともに忘れ難い思い出となっていることを今回は書きたかった。