映画「中村地平」の上映会があった。

 

文学者としての彼の名前をよく聞いてはいたが実際にどんな人物だったかについては全く知らなかった。

 

この映画が2作目だという製作者は44歳という若さの美術家である。

 

小松孝英氏

 

上映会の後のアフタートークで、どこにお住まいですか?と聞くと、一応宮崎だがあっちこっちの外国にいることが多いという答えが返ってきた。

 

オープニングの映像の中で音楽が流れた。

 

その歌を歌っているのが「うちの奥さんです」と彼は私に言った。

 

聴いていてなぜか魂を揺さぶられるような感動を感じる歌だった。

 

いいなあ、え?それでは歌を引き立てているあのピアノが大西さん!!

 

そうかそうか!

 

上映会場「風の庵」の常盤さんが言っていた。

 

「字幕に大西さんの名前も流れるよ!」

 

そういうわけだったんだ。

 

ひとつの無駄も欠如もない音楽が歌を引き立てている。

 

そう、直に訊いたこの写真の人物たち・・。

 

よくも一堂にこれだけの文士が集まったものだ。

 

左から

 

井伏鱒二 上泉秀信 岡田三郎 バスガイドのお嬢さん 中村地平 中川一政

 

激動の時代 南方への憧れと葛藤

 

その当時地平がいた台湾のことなど細かく描かれ激動の時代であったことを具体的に知ることができた。

 

沢山の事実の確認と関係資料の収集だけとっても、どれだけ監督の小松さんが精力的に動いたか管見することができた。

 

中村地平

  1908~1963

 

良くも悪くも南の国々へ手を広げた日本。

 

台湾にとどまらず東南アジアの多くの国に今もその足跡を残している。

 

地平は台湾を舞台とする小説を数多く書いたとされるが、帰国後は中央文壇にも影響を与え故郷宮崎に貢献したとある。

 

そうか!その時代の歌なんだな!

 

そういう時代の複雑な空気も十分地平は感じていたのだろう。

 

椰子の実や里の秋に歌われる歌詞の内容が突然納得できることに気づく。

 

深く調べもしないで歌っていたが、

 

・・名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ・・

 

その時、遠く南方の国へ行かざるを得なかった家族(あるじ)を思った歌であったのだと・・。

 

・・しずかなしずかな里の秋

    おせどに木の実の落ちる夜は ああ 母さんとただ二人 栗の実煮てます囲炉裏端

 

父親は居なくて母と子の二人住まいということがわかる。

 

2番には

 

・・・・・ああ父さんのあの笑顔 栗のみ食べては思い出す

 

3番

 

・・・・・お舟に揺られて帰られる ああ父さんよ御無事でと 今夜も母さんと祈ります

 

一概に言えないが出征していたんだ!

 

連ねて南京の事件 八紘一宇の塔の建設

 

決して美化して語るべきではない事実がそこには厳然としてある。

 

もっと正確にかけよと?

 

あくまでもこの文は頭に浮かぶよしなしごとのレベルで書く散文であり、事実の記録ではないことを知っていてもらいたい。

 

そして、「椰子の実」も「里の秋」も中村地平と何ら関係あるものではない。

 

題字をこんな美しい文字で書かれたのは、宮崎で活躍する斬新な書道家の今井美恵子氏

 

この方も、退職前の4年間を共に同じ職場で働いた仲ではある。

 

ただに、平穏無事に過ぎる日々の中で身近なところで新しいものを生み出していく若い人たちのエネルギーに触れ、少なからぬ刺激と感動を受けたことについて、ひいては過去の偉人たちの息吹を感じることが嬉しく「いい夜であった!」と独り言ちて寝ることにする。