第8回シャンソンコンサートのことを少し・・。
うちに歌いに来られる方々をメンバーとして大体8か月に一回のコンサートをする。
今回で8回目で、第1回目はたった3人で細々と、それも私の弾くピアノで・・
個性派ぞろいの面々だがシャンソンの魅力が十分わかっている方々だ。
歌うなら最高の状態で気持ちよく歌ってほしいと思い、ピアニスト大西洋介氏にピアノを弾いてもらっている
「シャンソンは70歳から」
・・という言葉の影響が大きく、そろそろ歌ってみようかと思われた方々がうちに来られるようになった。
どうやって歌うのかというあたりは触れないが、何をするにつけても大切なのは「こころ」だと思う事だ。
真摯な気持ちで歌と向き合って歌う。
上手い下手の束縛から逃れて思うように自分を表現する。
出来るようだなかなかできないことなのだ。
シャンソンというとフランスのエスプリの効いた歌ということだが、私自身フランス語ができるわけではない。
素晴らしい訳詞で、つまり美しい日本語で歌う。
これも一つのステイタスである。
素晴らしい訳詞をする訳詞家もこの世界には多い。
もっとも、シャンソン以外にも世界中の歌がシャンソンとともに歌われることも多い。
イタリアのカンツォ―ネや日本の歌謡曲等シャンソン風に歌ってみるのも良いものだ。
今回私自身もポルトガルの国民的歌謡ファドを一曲は歌ってみた。
何とも歌っていてファドに取りつかれそうなくらい惹き込まれる・・そういう音楽だ。
昨年あたりから、ドレスの店がキャンペーンを遣れば出かけて買う人たちが増えた。
ドレスを買うこと自体シャンソンに向き合う姿勢が感じられて好ましかった。
装いの一切を取り仕切るだけでも大変な時間と労力とを費用が要る。
この日のために、歌も仕上げる、そしてそれにまつわる全ても・・・。
私の願いとしては、経験を積んで学んでほしい。
ただそれだけのことだ。
気づきを大切にしてほしい。気づいてほしい!
気づきのアンテナを高く掲げてほしい・・これが私の願い。
今この齢になっても「歌うということの意味」を思う。
美しいドレスに身を包み、最高に美しい姿で人前に立つ。
歌うということと相まって総合的な自分の総仕上げだ。
もろもろ手伝っていただいた方々に厚くお礼を言おう。
そして今後の歌への飽くなき精進を!
20240-3-3
真夜中の短歌 4首
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