これはいったい誰なんだろう!
23歳くらいの時の子供の国での写真だ。
なりたての先生の仕事がそれから延々と続く。
実に延々と続いた先生稼業だったが、今となってはそれも定年退職で終わってしまい、まだ延々と生き続けている。
人生は短いようで実は長いのだ。
初々しいと言えばそうかもしれないが、学生時代から楽しいばかりで過ごしてきた身にとっては実際に社会に出て働くということがどんなことかも自覚がなかったように思う。
職場では期待されて同僚の方々からとても親切にされた。
いろいろな方々からお招きもあって、自宅に呼ばれて食事をみんなといただいたり一人一人が人情味のある人たちだった。
それでも、仕事は自分で判断して自分で行わなくてなならない。
いったいどうしたらうまくいくか・・これが昼夜を問わぬず考える自分の課題となっていく。
その頃はまだ実家から職場に通勤していたのだが、家に帰っても多分浮かない顔をしていたのだろう。
ある時、父が私のところに来てきつい口調で言った。
「 やめたらいかんどッ!」
父は何かにつけて、女も仕事を持つべきだという考えの持ち主だった。
結婚してももし旦那が死んだら食うていけんがな。
手に職を持つべきだ。
そう言う考えの人だったから、せっかく大学を出て就職をしても、あっさりやめてしまえば元も子もないということだったのだ。
苦しかったが辞めなかった。
職場には働く女性がたくさんいた。
共働きの中年女性たち、うら若い女性たち、大奥的経験豊富な女性。
そんな周囲の同僚たちに言葉ではない励ましをたくさん受けた。
もちろん、多くの男性もしっかり働いていた。
未熟な自分だったが、懸命に生きた時代だったといえる。
そして、意欲があり学ぼうとする力と体力があった。
巨大な組織の中に必死で自分を組み込ませて仕事をした。
影響を与えてくれた幾多の先人たちも今となっては彼岸のかなたの人だ。
懐かしむだけで逢うことはかなわぬ人々だ。
古いアルバムを開くと、そこには忽然とその時代が現れる。
古い写真を捨てられぬ話がよく分かる。
そこでだけは若かった自分がそのままにいる。
いろいろなことありぬ いろいろな目に遭いぬ・・
坂村真民の「二度とない人生だから」の出だしの一節だが、まさに人生はこの一節そのままだ。
そして今があるわけで、連綿と続く人生なのだ。
今書いたことが若い日の自分の集約でもなく、ただ浮かんでくることをつづった文章に過ぎない。
書ききれない。
全部書こうとするならば、たぶん今まで生きた分だけの時間が必要なのだ。
そしてこの若い時代の写真を見ても今の自分とは判別できないだろう。
それくらい時間が経ってしまったということだ。
今年辰年老婆の独り言だ。