2019-4-16 パリ ノートルダム寺院の火事
どちらにする?
ひとつは、そこから直行便の飛行機でパリへ
もうひとつは、そこからモスクワまでの夜行列車
そことは、北欧に近い位置にあるサンクトペテルブルグ
飛行機もパリも魅力はある
しかし、ロシアの夜行列車とはどんなものか・・そう思った。
乗ってみたい、体験してみたい
そういう思いで私たち3人はロシアの夜行列車でモスクワに行くことにした。
サンクトペテルブルグのネヴァ河のほとりに立つエルミタージュ美術館。
とてもすべてを見ることはできないのだが、おおらかなもので条件を満たせば自由に何でも撮影できた。
向こうにはフィンランドがあるというバルト海に面したピョートル大帝の夏の宮殿の威容も忘れ難い。
この世にこれだけの富を築いた人物がいたという事実、歴史は昔を語っている。
歴史の深い美しい大都市サンクトペテルブルグよさようなら!
列車は広軌の鉄道を走る豪華な個室をしつらえた赤い列車だった。
乗務員の女性は制服に身を固め我々を案内してくれた。
ありがとう!と言おうと思ったが、怒っているような顔で役目を終えると愛想もなく向こうへ行ってしまった。
短いロシア旅行で感じたことのひとつ、ロシアの人たちは笑わない。
男も女も、老いも若きも、店員も駅員も・・。
長い歴史の中の豊かな様々なものを有しながら、人々は笑わない。
日本人はすぐ笑う。ほんとに可笑しいからだったり、お愛想笑いだったり、笑うことが当たり前になっているのと比べるとロシアの人々は冗談抜きで真剣に生きていかねばならない一途なものを感じた。
今も、極寒の厳しい自然や独裁や重い歴史がのしかかってそれが国民性になってしまっているのかもしれない。
少ない滞在期間の中で、どれほどロシアについてわかるはずもないのだがその短さの中で感じたことのひとつなのだ。
サンクトペテルブルグからモスクワまでの夜行列車の乗り心地はよく、果てしもなく広がる深い森林の中を走るのだが、時折、童話の世界のようなカラフルな家のある村が現れたりした。
童話に出てくるようなカラフルで可愛い家々のたたずまいは実際にあるのだ。
暮れなずむ車窓から、国土の広さが想像もつかないものだと実感した。
個室の3人、夜を徹しての話も尽きなかった。
人生を語り、来し方行く末を語った。
コンパートメント(個室)の列車は、この広い大地を走る列車として重厚で安定した走行だった。
音も揺れもなかったような気がした。
人の手の及ばない広大な森林の中を走る列車。
真夜中の真っ暗闇は何もかも包み込んでしまうような漆黒の世界・・。
真夜中の車窓に見る点在する村々に人の姿はなかった。
どんな暮らしがあるのだろう。
管見する景色だけを見て貧しい想像力をのばす。
ロシアの首都モスクワについて、息も止まるほどの感動を覚えた。
歴史がそのままそこにある・・。
赤の広場界隈にひろがる石畳。そこを歩いてレーニン廟の前で立ち止まる。
反対側のデパートの名前は思い出せないが、そこでアイスクリームを買った。
やはり店員は愛想笑いをしない。
何もかも国営だから売り込む必要もないのだと感じた。
街中にあふれる偉人たちの銅像、歴史の一シーン、石造りのビル・・。
この辺りで、日本の木造建築との違いを実感する。
何百年も住み続ける石の建造物と、よく燃える木で作られた日本特有の建築様式の違い・・。
お国柄であり、独特の生き方があるのは当然なのだ。
見ないと分からない真実。
その時の旅行の資料を引っ張り出して書いているのでもない。
これはレポートではなく、あくまでも頭に浮かんだままを勝手に書いている文章に過ぎない。
モスクワ、今行こうとしても行けない国ロシア。
恐ろしいニュースが日々入ってくるロシア。
現実は生々しく残酷に形相を替えて人々に挑みかかる。
何千年もその威容を誇る遺跡でさえも火事や戦争で焼失する。
このパリのシテ島にあるノートルダム寺院焼失の写真は2016年のことだ。
また行けると思っていたパリには向かわず、夜行列車を選びモスクワへ行ったことは、それはそれで大変大きな思い出と感動があった。
パリのノートルダム寺院で見た礼拝堂のステンドグラスの「バラ窓」
また行けば見ることも可能だと軽く考えているうちに、なんといとも簡単に焼失してしまったではないか。
儚いもの・・なのだ。
そののち、沖縄の首里城も敢えなく炎上(2919-10)してしまっている。
現実とは非情なものだ。
パソコンの中のアルバムを繰っていて出てきたこの一枚の写真に、どれだけ多くの思いが詰まっているのだろうと思う事だった。