とにかく暑い!

 

昨日はうれしい人から電話をもらった。

 

こうして電話で話せるようになるまでには長い年月が流れた。

 

みんな自分の生活で精一杯、他を思う時間なんてなかった。

 

50年もの時間がそこで過ぎている。いや、それ以上だ。

 

私は彼女が生まれた時を知っている。

 

美しい女の子だった。

 

大きくなるにつけて彼女は素晴らしい女の子になった。

 

ダンスが上手に踊れて姿がよかった。

 

その頃流行ったフラフープも上手にできた。

 

しかし、生活の変化で会うこともなくなり月日が過ぎた。

 

私自身も、職に就きそして結婚した。

 

子育てが始まり、フルタイムの仕事と両立させるために気持ちはそのことだけに傾いていった。

 

夫は気のいい性格だったが、実生活ではぶきっちょで何をさせても話にならなかった。

 

そんな中で私の人生の大半は夫に対する不満と怒りに満ちていたような気がする。

 

内なる自分の中の怒りと、外に見せる顔の違いに自分でも驚くような日々が続いた。

 

二重人格か?

 

そんな中で二人の子供を育てた。

 

親としてすることはした。

 

・・時が流れ、私ももう老境。

 

いつ何があってもおかしくはない年齢になった。

 

・・が、なんということだろう、年を重ねるごとにその年年がすばらしいと感じてきたのだ。

 

ありあまる時間。社会と自分をつなぐ仕事「コーラスの指導」「うちにシャンソンを歌いに来る人たちとの交流」「弾き語りのレッスンを受け」「「自分もシャンソンを歌ってコンサートもする」馴染みの喫茶店は片手に余るくらいあり人とのおしゃべりが愉しい。

 

時には、ひとりで馴染みの店に呑みに行くことだって私の大きな楽しみの一つだ。

 

もう一つ好きなのは、布と遊ぶこと。

 

もう、コンサート用のドレスは作らないが、持っている洋服の補正やもろもろの小物を作るのは楽しいし好きだ。

 

ミシンをかけているときは一番落ち着くときかもしれない。

 

数あるコンサート用のドレスももう数を減らしてもいい。一枚はピアノを弾く遠くの孫に贈った。

 

しかし、ソロコンサートの話もちらほら、10月にはギターとの共演でシャンソンを歌う。

 

アクセサリーも若い時から捨てないで持っているから相当たくさんある。

 

しかしこれもまだ今は手放せない。

 

今日は、共演者に譜面を郵送し、本番用の歌詞カードを用意する作業をした。

 

若い時と比べると仕事ものろくなっているのだろうが、その分時間がふんだんにあるのでゆっくり作業をする。

 

・・よほどのことがない限りもう会うこともないだろう。

 

そう思っている。

 

そうおもいながらも、心の隅では思いっきりひざを交えて話してみたい欲求もある。

 

一年に2~3度電話をくれる遠くの彼女。

 

今なら、心穏やかに逢えるような気もする。

 

しかし、このままで自然に任せておこう。

 

それでいいと今思う。

 

電話で話せたことだけでも自分にとっては画期的な出来事だったからだ。

 

お互いできるだけ元気で長生きしたいと・・そんな気持ちで生きていきたい。

 

ひとの一生なんて線香花火のようなもので、みんな平等に齢を重ねていくものなんだ。

 

いのちの重さは生きとし生きるものみな同じ。

 

結果的には庭のアブラムシのようなものかもしれない。

 

ツツツと逃げるトカゲのようなものかもしれない。

 

宇宙的に見ると、なんとはかなく一瞬であり・・。

 

一瞬でありながら永遠を願う・・人間とはそういう生き物。

 

元気でね。ご主人様の健康が続きますように!!

 

 

写真は、先日の一皿 ハモのおつくり