北の窓辺に置いている花鉢が数個・・。

 

水だけは欠かさずに遣っているが、それだけで生きている。

 

セントポーリア

 

今年はその中の一鉢だけが満杯に花をつけて終わった。

 

その色はピンクだった。

 

・・ああ、紫はなかったのねぇ!・・そう思っていた。

 

あ、いえいえ、誰に言うわけでもなく秘かな花と自分の想いのやり取り・・だ。

 

北の窓には、どの時季にも陽が射すことはない。

 

・・セントポーリアは儚い花で外の荒ぶる空気の中では生きていけない。

 

日差しも強すぎて、当たると息絶えてしまう。

 

花の盛りが過ぎて、鉢からこぼれそうに咲いたピンクのセントポーリアもまた元の姿に戻った。

 

水だけを頼りに北側の窓辺で命をつなぐ、その鉢のひとつにある朝花がたった一つだけ咲いている。

 

それも、心待ちの紫色だ。

 

裏なりのようにどこか貧相で・・そう思ってよく見てみた。

 

葉っぱも小さいままに・・しかし、よく見るとその貧相な花の下あたりに小さなつぼみがいくつか育ってきているではないか…。

 

たったそれだけのことなのだが無性にうれしくなって、誰にも聞こえない声で鉢に向かってそのことを賞賛した。

 

・・ちいさいけどよくさいたねぇ、むらさきだねぇ!いきていたんだよねぇ!うれしいよう!

 

北の窓にこのセントポーリアを置いてからもう6~7年にはなるのかな。

 

ある時、西都でもらってから・・・。

 

多くの方々とかかわりあって楽しんだあの頃・・。

 

思い出すと身のうちに暖かいものが溢れ、懐かしさに身をよじる程のものを感じながらこの窓辺の花に水を遣る。

 

それに答えてこんなかわいい花を咲かせた‥。

 

・・内なる秘かな幸せを思う。

 

たった一つの裏なりのような花が咲いただけでこんな風に思うのは、少し考え過ぎで誇大妄想的なことかもしれない。

 

それでもいいのだ。

 

ここにはそんなことを書いても許される。

 

なぜなら、ここは自分の思いを吐露する場所であるからだ。

 

紫の小さな花を見ていて浮かぶ言葉を書いておこう。

 

満開のムラサキのセントポーリア・杉木立・鶯の啼き声・エーデルワイス・お月見コンサート・茶摘み・田植え・稲刈り・田の草取り・餅つき・茶炒り・おいしくなあれ・ホビーくん・ピッツァ・しし鍋・不耕起米・野外ステージ・出た出た月が・つくばい・にじりぐち・水は清きふるさと・みなとや・茶葉の天ぷら・・。

 

頭の中を駆け巡る言葉の数々イクオール想い出の数々。

 

齢と重ねるということは想い出の中に生きるということでもある。

 

ただ生きているだけではない。

 

齢を重ねた人々の内なるところではそんな思い出の言葉たちが息づいて生きているのだ。

 

紫色のたった一輪のセントポーリアに思ったことども・・。