こんな画面が突然現れた日、マイバースデイだった。

 

83歳

 

数えきれないほどの思い出がもうその一つ一つを思い出せないものもお多かろう。

 

80歳の時に、膝関節の手術をして人工関節を入れ、その同じ年に頻脈と不整脈で心臓のカテーテル手術を受けた。

 

どちらもうまくいって、もう3年になる。

 

時のたつ速さに驚く。

 

この「Jアラート」のように突然何が起こるかわからない。

 

そんな不安定の中に生きているのだとあらためて思う。

 

家人たちが寿司の出前を取って祝ってくれた。

 

なにげに祝ってくれる家人たちに「ありがとう!」と言葉で伝えた。

 

何もないわけではない。

 

いろいろありながら、世の中も様々な事がありながら人々はその一つ一つに対応しながら生きていく。

 

それが世の中というものだろう。

 

この齢になって初めて出会う困難もある。

 

この齢にならないとわからない出会いや気づきもある。

 

常に新鮮な風が吹いている。

 

昨日は、ある画廊に絵を見に行った。

 

人は意外な感性を持っている。

 

その発露である絵の中にその人を探す。

 

私の知らないその人の一面が見えてくる。

 

絵もまた自己表現の確かな一つだ。

 

この齢になると、周りにいるのはお若い方々ばかり・・。

 

年長の私にとても親切に暖かく丁寧に接してもらえることが嬉しくて、しかしその優しさに甘えてしまっていないかとときどき自分を糺す。

 

これからの生き方も流れに任せることになるのだろう。

 

あえて環境を変える気持ちはないが、より良き環境を探し続けることも続いていくのだろう。

 

時には歌を詠み、文を書き、歌を歌い、ピアノを習熟する。

 

終わりのない旅の途中だ。

 

しかし一番うれしいのは人と一緒にいる時だ。

 

なにげに言葉のキャッチボールができる人たちがいれば私は多くを望まない。

 

キャッチボール・・。

 

この言葉の意味をよく考える。

 

キャッチボールとは「人を理解する」ということだ。

 

滔々と自分のことばかり話す人は聞いている人のことをどう思っているのだろう。

 

そんな人も多い。

 

独り暮らしだったりすると特にしゃべりたいのだろうなぁ。

 

こちらから掛けた電話なのに、40分もしゃべるだけ喋って「それじゃぁね!」・・はないだろうに。

 

ま、しゃべりたかったんだろうなぁと変な納得をして締めとする。

 

しかし、そういいながらも人の話を聞くのは好きだ。

 

大体は、聞き役にまわるにはまわる。

 

・・こんな書き方をしていると際限もなく続きそうであとからあとから書きたいことが押し寄せているがこの辺りで絞めにしよう。

 

これから83歳という年を無事次ににつなぐことができるか・・それも成り行きで・・なんてかっこよくいっているがそんなにかっこよくいかないことも重々わかってはいる。

 

どうぞ、お若い方々、今年もよろしくお付き合いのほどをよろしくお願い申し上げる。