寒波襲来
さすがに冷え込んだ。
我が家の暖房対策はひとえに小さな石油ストーブ。
暖を取りながら明るく燃える炎を見ているといろいろな事が頭をよぎる。
昔は寒かったなぁ!
霜柱は高さが10センチくらいもあって登校途中にそれを踏みながら歩いたなぁ!
靴下とか履いていたかなぁ!
足袋だったかもしれない。
下駄か藁草履だったような気がする。
着ているものも継ぎのかかった木綿の洋服だったような気がする。
その頃はまだ既製品の洋服の時代ではなかったから、どうしても手作りのものを着ていた。
町に一軒しかない三輪百貨店に母と行って洋服生地を買ってもらって仕立ても母がしていた。すかー
スカートのギャザーが少しでもたくさんあった方がいいので裁断される生地が少しでもたくさんなように祈るような気持で見ていたことを思い出す。
ミシンはシンガーミシンがあった。
当然足踏み式でロープがその動力を上の機械に伝えて動いた。
使い方を教わった。
何度も何度もそのロープが切れたりゆるんだりする。
そのたびにつなぎなおして修復をしなければならなかった。
上糸と下糸のバランスが悪く縫い目が乱れてくる。
そのたびに機械を調整しては試し縫いをしなければならなかった。
投げだしそうになるのだが、投げ出しては洋服が縫えないので仕方なくやるのだ。
今持っている電動ミシンでさえ、とてもよく働いてくれるがその微調整や分解修理は常にしなければならない。
持っている工具の多いこと、そのどれもがなくてはならないミシン復活のアイテムなのだ。
みんなも着るものには苦労していたに違いない。
冬は絣柄や可愛い柄の綿入れを着ていた。
ふっくらとした綿入れの羽織は暖かく小さな子供たちの体を包んで可愛かった。
絣のモンペも継ぎの当て方が可愛かったりした。
姉が買ってくる「装苑」というファッション雑誌があった。
ページの中にファッションの世界が広がっていて、山の中しか知らない自分に新しい何かを吹き込んでくれた。
裁断図に添って新聞紙で製図して型紙を作った。
八頭身のモデルが嫣然と笑ってきているカッコいいズボンを作りたかった。
丁度昔から家にあった武士の袴を出して了承の上それを仕立てた。
苦心惨憺したことは今でも覚えているが念願のズボンが出来上がった。
それを着て姉に見せると、目を瞠ってびっくりしていた。
よくできているというのだ。
それからは毎日そのズボンをはいて登校した。
股のところのラインが斬新だった。
誰が教えてくれるでもなく家の者たちも関心も持たずするがままに作らせた。
つきっきりで教えるほど家の実情が豊かでなかったのかもしれない。
あれから○○年、
今でもミシンが好きだ。
コンサートも終わったので心が解放された。
そこで、気難しいミシンとうまく付き合いながら、袋物を作り始めた。
訳あって同じものを15個も作る。
いそいそと取り組む。もうすでに半分ほど工程が進んでいる。
・・なことをストーブの火を見つめて思い起こしている。
そうしたら炎がだんだん小さくなって灯油切れの合図が出てしまった。
今から満タンに灯油を入れよう。