10号線を駆って川南まで行った。本命の用は新富町にあったが高鍋を過ぎて川南・・。

この辺りはどこを駆っても思い出だらけ・・・。

何しろ9年間もこの道を都農町まで通ったのだから・・・。

今はもう存在しない元の職場へ自宅から一時間かけて通勤した。

7時に出れば8時に着く

7時一分に出れば8時一分に着く

それは不思議なほどの正確さで駆った。

朝の通勤時間帯はそのように無駄なく駆れるのだ。

子供を育てながら、諸問題を抱えながら、ばあちゃんがいた時期もあったし子供が不調の時もあった。

それでもやめようなどとは思わなかった。

苦しいこともたくさんあったが、それに勝るいろいろな人生経験があった。

仲間がいた。

無線があった。

携帯はまだ普及していない時代のことだ。

世間知らずの自分がいろいろな面で世の中を知った時代だった。

同じ職場の同僚たちとの交流も今でも続いていたりする。

車は遠距離通勤に際して夫がお金を出してくれた。

無駄なく走る。

運転のコツというコツを身に着けた。

決して運転が好きというわけではないが、どこにいくにも苦になることはない。

川一つ越えるのにも「遠い」という人もいるが、それも当然とも思うがいま、私はどこへでも行ける。

お昼を食べるために隣県熊本の湯前町にも行ったことがあったなぁ!

隣県と言っても西米良まで一時間半、それから西へ20分も走れば湯前町だ。

え?私は何を書こうとしているのだろう。

あれもこれも・・。

思いつくままに・・それでいいそれでいいのだ。

起承転結というのもあろうが、そんなことを考える時間があったらほかのことを考える。

たとえば、何を書こうか・・考えているとそれが愉しい。

自由・・聞こえはいいが本当は「自分勝手」な・の・だ。

今更立派に書こうなんて・・その「立派」ってなに?

本当は往時の通勤時代のもろもろを書くつもりだったが・・それは今回は書かない。

勝手気ままに頭に浮かぶよしなしごとを書く・・これがストレスにもならないで良い。

書かないとそれも又「腹膨るる思い」でストレスになる。

散文と言えば聞こえはいいが本当は落書きだ。

10号線も徐々に様変わりしてこんな店があったりする。

少しここで遊んで帰った。

海鮮料理の店はたくさんの車が並び「待ち」で並んでいる人たちがいる。

おいしいところに人は集まる。

新鮮な魚・・かつて、パック詰めの切り身を買って料理ができるまでにしょうゆをかけてそれを食べたこともあったなぁ!うわっはっは

旨かったぁ!

通勤は同じ道だけを通るとどうしても飽きてしまう。

あらゆる道を選んで帰った。

木城・川南に西都と回ってそれも色々な道を探索した。

今でも道自体はそうは変わらない。

それを覚えているだけだが、人は「道に詳しいねぇ」と言う。

道を逸れようとするとビビビっと鳴る車に替えて時々ビビビっという音を聞きながら走る。

郊外の目的地に行こうと思えば、私より若い方々が当然のように私の車に乗ってくる。

「反対じゃろう!」なんていいながらそれでも私の運転になってしまうのだ。

それこそ駄文にて部外秘にお願いしたい。