こんにちは(*・ω・)ノ
きりんさんです。

極数人の方にはお話ししていましたが
きりんさんの事を
お話ししましょうか。


子供の頃
「大人になったら何になろうかな?」
と、自分で夢を見たり
誰かに聞かれる事がありますよね。


私は最初から
「絵が描ける仕事」
でした。

その中身は
漫画家だったり
イラストレーターだったり
と、変わりましたが
基本は絵を描ける位置に住んでいたい
でした。

一瞬
「宝塚に入りたい」
と血迷ったこともありますが
それも後から考えれば
「あんなお衣装を描きたい」
だったのでしょう。



そんな血迷っている隙間に
テレビに映し出されるアニメーションが
気になりだしました。


紙に描いた絵が何故動くの?
何故喋るの?
映画の撮影カメラが
自由に動き回るように描くのは
どうなってるの?


ディズニー作品はなぜあんなに
リアルに動くのに
日本のアニメは違うの?

そして
ウォルトディズニーの様に
自分がこの世を去ったあとも
いつまでも輝き続ける作品は
なんて素晴らしいの。


私のことを知らない
次の時代の人に
観てもらえることは
なんて不思議で夢のような事なの。


日本という国に生まれたからこそ
そんな夢を考える事ができたのでしょう。


そんな時出会ったのが
「マクロス」劇場版

美樹本晴彦さんの描く
キャラクターの表情、仕草がなんとも
可愛らしく、また歌を唄うシーンの
美しさに惹かれました。

そして
脚本
演出
の斬新さにも惹かれました。








いつか
必ず
きっと
ここに行く!
絶対行ってみせる。
この同じ人達と
同じ場所にいる。



「紙に描いた絵が動いて話す」
そんな魔法の世界に。



そんな感動的な事を思うのは簡単で自由よ。




実際はそんなんじゃない。


ひっくり返って
のたうち回って
凹んで
絶望して
泣いて


いや泣いてる時間なんてなくて
ただ努力と「負けるか!」と
自分のHPの残量だけが頼りと
そのHPを無駄に消費するかの様な
夜中に出くわす
酔っ払いオヤジのセクハラや
ストーカーオヤジに郵便受けから覗かれて
殺意を覚えた。
って感じ。
(その時は純粋に「きゃ!こわぁぃ」と思ったが
今なら覗きにかえしてやる)



そんな状況でも
親から
「帰って来れば?」
と、言われたことはありません。


自分の決めた道です。
それを1番知っているのは
両親だからです。




夢を叶えるのも
諦めるのも自分次第。


夢の先には夢がある

その階段を登るのか?
それとも立ち止まるのかも自分次第。


私は
アニメーションの世界にいました。


自分の絵が
テレビの画面の中で
動いてる喋った日を忘れられません。


劇場のスクリーンのスタッフロールに
自分の名前を見た時
夢が叶ったと、
劇場でスクリーンを見ながら座っている
みなさんの後姿を眺め
一番後ろの壁に立って涙が溢れました。





誰一人知っている人が居ない世界でしたが
同じ夢をみる仲間ばかりです。

叱られ
リテイク(やり直し)の嵐

仕事場で泣いた事もあるし
隣りの新聞屋が火事になった事もある
(あたしのせいじゃない)



でも、仲間がいる
競い合い
励まし合い
笑い合う。



自分の仕事が終わらなければ
進行さんや仕上げ、編集、撮影
声優さんなど、その後に続く方の負担になる。

とんでもないカットを渡された人は
何日も家に帰れない事も日常茶飯事。


今はデジタル化が進んでいるので
違うと思いますが

以前は
動画さんがトレス(原画清書、中割り)をした
鉛筆の絵をトレスマシーンに1枚ずつかけて
セル画に写し
その後仕上げさんが
肌の影などはペンで色トレスを入れてから
筆で一色ずつ塗っていました。

CGもあまり無い時代でしたので
光る星などは
紙に穴を開けて
後ろから光を当てる
特殊効果でした。



カメラが自在に動く場面は
背景さんのサイズに合わせて起動を取って作画し、ずらしながら撮影をしています。
(つけパンと言います)



もちろん
原作があり
設定資料があって
そのキャラクターにしなければなりません。


設定資料を渡されて
夜逃げしたい気分になった事もあります。
無理じゃね?って。


OVAが飛ぶように売れていましたので
「お取り扱い年齢」が高い作品も
きました。
(可愛いけど、無理じゃね?)って。


OVAや劇場版は1枚単価が高いです。

描いた枚数分の歩合制。
口パク
目パチ
止め
の様なカットと
5人のキャラクターが
回り込む様なカットも同じ金額です。


私が
アニメーターを辞めた理由は
テレビシリーズから
OVAに市場が変化したからです。

その頃のOVAは多少難ありでも
キャラが可愛ければ売れます。
ストーリーがあやふやでも
売れるのです。
(今は違います)


子供の頃感動した様な作品が
少なくなってきて
描いている理由がわからなくなりました。



アニメーターをしていた期間に感じたことは

良き仲間に出会えること。
支え合い思いやる事。
叱ってくれる人がとても必要なこと。
そして、負けないと思う気持ちと、
努力、頑張った時間と
ほんの少しの運


それが全てだと知りました。



石黒昇社長に最後にお会いしたのは
2007年新宿でのイベントの楽屋。

名前もなにもかも覚えていて下さった。

ビクターさんや
監督さん。



「スタジオに寄って行きなさい」
そう言われましたが
なんとなく恥ずかしくて
行かなかった事を後悔しています。


作品からはすでに20年の時間が経っていましたが
沢山のファンの方々が集まっていました。
声優として
冨永みーなさんも。
みーなさんは
「声優だけではなかなか食べていけないのよ」
と私にお話ししてくださいました。


そして現在でも
世界中の
たくさんの方が支持してくださり
「ディズニーベイマックス」の
セリフの中に作品名が登場します。

スタジオでの最後の作品は
東映動画さんのテレビシリーズ最終回でした。


アニメーターを辞めたことに悔いはありません。

そして
現在活躍されている
クリエイターさん達の素晴らしさに
頭が下がります。


プロと名乗って良いのは
こういう方々。
私はプロだったと言えません。


今は
ハウステンボス歌劇団に出会い
キラキラ輝く方達を
「また、描きたいな」と
思うようになりました。


いざ描こうと思っても
自分の引き出しの少なさに凹みます。


頭の中に描いた絵と
実際の画力の無さに悔しい思いもします。


以前お話ししたかもしれませんが
見た目が上手い下手では無く
そこに込めたメッセージなり 思いが
大切だと思います。


その両方を心において描く事が大切。
いつもそう思っています。

夕貴まことさんと
青蘭そらさんから放たれる光は
私が思い描く
「絵」
「色彩」にもっとも近い

そして
このお二人の周りいる団員さんも
同じ色に染まって見えます。

強く 華麗で 優しく 暖かく 透き通る世界


いつか
それを感じられる様な絵が描けたらいいな。



今回
なぜこんなお話をさせて頂いた理由は

Angel gateで観れなかった
青蘭そらさんのマタドール。



ザッツレビューショーで
マタドールのみ再演されましたが
日程的に長崎まで行けず
さらに今回も
ラグナシアでの公演予定がなかったのですが、
新型コロナウイルスの影響で
千秋楽が決まらず
再度再開されて
県をまたいでの移動制限も解除になり
会社側からも許可が出ましたので
拝見する事が出来ました。


拝見して
想像以上に素晴らしかったこと。
舞台装置が無くても
これほどまでに
「紅い」世界観を表現する素晴らしさ。

風が吹いていないのにそれを感じる舞台。
薔薇の花びらが舞っている様な感覚。


長い公演期間のうち
3公演だけでしたが
拝見できて本当に良かったと。

そして出会えた方々から頂いた
優しさ、楽しさ。



帰りの新幹線で少し考えました。



気持ちに正直でいようと。

今までも言いたいことを
言ってきましたが
これからもぶっ放すでしょう。



そして
他にも団員さんのお姿を描いていらっしゃる方々もいます。



その事にも正直でようと。


描きたいと思わせていただけた事に
感謝しています。



もう一度
描けることに
ただ
ただ、感謝しかありません。



私が過ごした世界の時間は
無駄では無かったと…
そう思わせてくださったことに。














きりん