9月15日(土)


台風16号が接近中で

今にも雨が降りそう。

それでも 田舎に行ってみました。



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落花生は こんな風に茂っています。




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来月 半ばに少し試し掘りをして

生育の様子を確認する予定。




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いよいよ空模様が

あやしくなってきました。

これは 吸蜜に夢中なイチモンジセセリ。



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とうとう 雨が降り始めました。

今日の撮影は終了。

実家に撤収します。



そんなわけで

きょうは田舎レポートを中止し

私が好きな詩をお届けします。




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ばばさま

ばばさま

今までで

ばばさまが一番幸せだったのは

いつだった ?


十四歳の私は 突然 祖母に問いかけた

ひどく さびしそうに見えた日に

来しかたを振りかえり

ゆっくり思いをめぐらすと思いきや

祖母の答は間髪を入れずだった

「火鉢のまわりに子供たちを座らせて

かきもちを焼いてやったとき」


ふぶく夕

雪女のあらわれそうな夜

ほのかなランプのもとに 五、六人

膝をそろえ火鉢をかこんで座っていた

その子らのなかに 私の母もいただろう


ながくながく 準備されてきたような

問われることを待っていたような

あまりにも 具体的な

答の迅さに驚いて

あれから五十年

ひとびとはみな

掻き消すように居なくなり


私の胸のなかだけで

ときおりさざめく

つつましい団欒

幻のかまくら


あの頃の祖母の年さえ とっくに過ぎて

いま しみじみと噛みしめる

たった一言のなかに籠められていた

かきもちのように薄い薄い塩味のものを





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さくら


ことしも生きて

さくらを見ています

ひとは生涯に

何回ぐらい さくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら

どんなに多くても七十回ぐらい

三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう

もっともっと多く見るような気がするのは

祖先の視覚も

まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも

捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば

一瞬

名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態

生はいとしき蜃気楼と





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茨木のり子(1926-2006)さんの詩は

こどもにもわかる平易な言葉で

こころに深くしみこんできます。

気高く凛とした その死生観に圧倒されます。

覚悟することで 幸福感度が研かれる気がするのは

私だけでしょうか。