単なる思い出話である。

 

 

もう20年以上前の話。

当時、仲の良かった友達が、ある時

 

ミクシーやらない?

と言ってきた。

 

 

ミクシーって何?

と私が尋ねると、彼女は

SNSだよニコ

と言った。

 

 

当時、mixiというSNSの

プラットフォームが

出始めたばかりだった。

 

 

私は、ミクシーもSNSも

どのようなものか知らなかった。

 

 

友達を誘って入会させる

のだというから

ねずみ講

みたいなこと?真顔

 


彼女は何か困っているのかな?滝汗

もしかしたら、

何かのノルマを課せられているのかも

と私は考えた。

 


しかし、高額な商品を買わされるとか

怪しい契約をさせられるとか、

そういうことではなさそう真顔

 

 

もし、私がそのミクシーとやらに

入会することで、彼女が助かるなら

ここはひとつ協力してあげよう!ひらめき

と考えた。

 

変な宗教団体だったら

すぐに撤収するつもりだった。

 



 

ところがmixiは、始めてみると

デジタル上で書いた日記を

不特定多数に公開するというもので、

(つまりはブログ)

 

その日記を見た人は

見た痕跡(足あと👣)が残るので

書いた方も、誰に見られたかを

確認することができる。

コメントを残すこともできた。

 

 

そこで誰かとお友達になると、

その誰かのブログの表紙の友達欄に、

お友達になった人の

アイコンがずらりと並んだ犬コアラパンダ牛カエル

 

 

どういうものかはだいたい分かったが

何が楽しいのかは分からなかった。

 

 

私はしばらく、私を誘った友達が

どんな風に楽しんでいるのか眺めた。

 

 

ブログに書かれていた彼女の生活は

彼女の実態よりも、やや大げさに

楽しいことだけが書かれていた。

 


彼女を知らずにブログだけを読んだら

毎日が楽しい!ルンルン

キラキラ女子キラキラキラキラ

に見えたことだろう。

 

 

そして、お友達欄に

お友達アイコンをどんどん増やして、

毎日、順番に、

そのお友達のページを訪問し、

内容をチェックし、

ちょっとしたコメントを残していた。

 


それは彼女の毎日の

ルーティンワーク

のようだった。

 

 





私は、その様子を見ていて

牛舎

を思い浮かべた。

 

 

酪農場で、牛がずらりと並んだ牛舎に

おじさんが、毎日、順繰りに

エサを与えていく。



おぉ~ウシ子、いっぱい

乳を出すんだぞ~おじいちゃん

 

 

ウシ江、もっと食って

もっと太れよ~おじいちゃん

 

 

ウシ美~、おめぇは

最近、毛艶がいいな~おじいちゃん

 

 

こんな風に、

一頭一頭に声をかけて。



 

mixiという名の友達牧場。



そして、私も彼女の

友達牧場の

家畜のひとり

なんだと気づいた。

 

 

見渡せば、mixiの参加者は

それぞれ、みんな牧場主で、

自分の牛を世話したり、

あちこち出向いて新しい牛を

スカウトしたり、

いかに自分が素晴らしい牧場主であるか

をアピールしていた。

 

 

みんな誰かの飼い主で

みんな誰かの家畜だった。

 

 




私は本当に心の底から

深い深い深い溜息がでたゲローゲローゲロー

 

 

私は、だんだん

mixiにログインしなくなった。

 

誘ってくれた友達が

最近mixiやってないじゃん

どうしたの?キョロキョロ

と言ってきた。

 

 

飼われたくないの。

 



 

その友達は、小学校、中学校で

いじめられていて、

友達がひとりもいなかったと

ずっと前に話していた。

 

 

だから、彼女なりに

必死で

友達を大事にしている

つもりだったのだろう。


責めるつもりなんてないよ。

誰だって寂しい。

誰だって自分を認めて欲しい。

 

SNSは、寂しさと承認欲を

同時に満たせる便利なツールだ。


私は家畜扱いされて不愉快だけど

何も感じてない人の方が多いし、


日本人は飼われるのが好きだよね。



でも私は誰からも

飼われたくないし

誰も飼わないし。

 

私、めんどくさい人間なんでね、

私なんかとはつき合わない方がいいよ。

 




あれから、Facebookや

TwitterやInstagramや

色んなSNSプラットフォームができた。

 


彼女は今どうしているかな?

とたまに思う。

 

きっと今も何処かの友達牧場で

所有する家畜の数を

誇っていることだろう。

 

幸せならそれでいいんじゃないかな照れ

 

単なる思い出話である。