子どもが3人いると、
現実問題、
余裕がない。
時間も、
お金も、
スペースも。
自分たちがありたい生活のために、
手の内にあるものを、
どう配分するか。
都度制約を洗い出して、
パズルみたいな毎日を、
送っている。
何か欲しいと思った時は、
持っている何かで、
使えるものはないか?
と、咄嗟に考えてしまうのが私のクセ。
一番上の子が、
親の目が届くリビング学習から、
そろそろ卒業して、
自分のペースで、
集中できるスペースが必要かな……。
という頃。
学習机をどうしようかとなった時、
思いついたのが、
実家に置きっぱなしになっていた、
私が使用していた学習机だった。
その机は、
私が小学1年生になる時に、
私の祖父が作ってくれたもの。
祖父は、
孫みんなに小学校入学時に、
学習机を作ってプレゼントする。
と決めていたみたいで、
いとこもきょうだいもみんな、
祖父の手作り学習机をもらっていたので、
私の中では当たり前の出来事だった。
小学校入学を控えたある日、
祖父の車で運ばれてきた机。
女の子だからと、
無垢材ではなく、
白い材料を選んで、
作ってくれたそう。
引き出しは一番奥まで使えて、
収納力ばっちり。
前の棚にも、
教材や本が、
それぞれの大きさに合わせて、
並べられる機能性。
透明な扉が付いた飾り棚。
正面から照らしてくれる可動式の照明。
小物がしまえる小さな引き出し。
何かと便利なコンセントも付いている。
成長に合わせて、
机の高さが変えられる、
調節機能もあった。
上のいとこが私の机を見て、
「おじいちゃんが、
何個も作っているうちに、
どんどん腕が上がって、
機能が良くなっているのもあるけど、
自分の机は、
その時家にあった材料で作られたから、
裏を見ると、
元の素材をうかがわせる、
文字が書かれていたりして、
つぎはぎって感じで、
こんなに立派じゃないんだよ」
なんて言うもんだから、
下に生まれることも、
悪いことばかりじゃないんだぁ〜〜。
なんて思った記憶が、
はっきりと残っている。
まわりの友達の学習机と比べても、
なんら遜色もなかったので、
大きくなるまでなんの不満もなく、
普通に使わせていただいた机。
実家に行って、
あらためて自分の机を見てみる。
まさか自分の子どもにも、
使おうなんて考えるとは、
夢にも思っていなかったから、
特別大切に扱った、
なんて記憶もないのだけれど、
しっかりとした作りで、
ガタつきもない。
白いコーティングの剥がれもなく、
磨けばくすみも取れて、
新品感は流石にないけれど、
使うのには問題のない状態。
私のお古で嫌がるかな?
なんて思ったりもしたけれど、
子どもも現物を見て、
特に嫌がる様子もなかったので、
それを家に運んで使うことにした。
もともと、
祖父が自分の車で運ぶために、
分解して、
簡単に組み立てられるように、
作られていたので、
車に乗せて運ぶのも簡単。
使っていくうちに、
上の子が不満を漏らすようだったら、
下の子にも聞いてみて、
みんなに嫌がられたら、
その時はまた考えよう。
と思っていたのだけど、
結局、
一番上の子にとって、
すっかり自分の机として、
今に至る。
祖父は私が結婚する前に、
他界してしまったのだけれど、
会ったことのないひいじいじの存在は、
こんな感じで子どもたちに伝わっている。
私が祖父から、
学習机をプレゼントされて、
約40年。
今になって見れば、
一つ一つ手間暇をかけて、
丁寧に作ってくれたことが、
とても良くわかる。
本当に良いものは、
時を経ても輝きを失わず、
当たり前に日常を支えてくれる。
こういうものを、
古いと一蹴せずに、
受け入れてくれる、
子どもたちもありがたい。
大変だと思うことから、
逃げ出さずに取り組めて、
自分の人生を越えて、
伝わってゆくようなものが何か、
私にはあるだろうか?
ふと思った。