最近、

ここ数年会えなかった友人と、

久々に会おう!

と、以前のつながりが、

少しづつ戻ってきた。

 

久々に会って、

とりあえずの話題は、

大抵、

自粛期間中に、

どんな生活をしていたか。

 

子どもたちが、

修学旅行に行かれなかったとか、

 

学校に行く機会が、

すっかり減ったとか、

 

旦那さんがリモートで、

ずっと家にいたとか……。

 

みんな、

いろいろと我慢をしていたから、

鬱憤もいっぱい。

 

あれもこれもと、

矢継ぎ早に話が飛び出してくる。

 

 

そして、

話の行き着く先が、

 

旦那さんが、

家にいても何もしてくれない。

 

何かをやってくれても、

こちらの望むクオリティじゃない。

フォローが必要で気が抜けない。

 

まったく頼りにならなくて、

自分のストレスが、

半端ない。

 

ってなるのは、

高確率でよくあって、

 

老後にずっと家にいられる生活とか、

あり得ない。

 

って流れになっていったりもする。

 

 

おしゃべり自体は、

各々好きに、

溜まったものを吐き出して、

 

次に、

また頑張るための、

英気を養っているだけなので、

 

それはそれで良いのだけど、

 

今まで、

旦那さんの愚痴なんて、

言うことのなかったような人でも、

口にするようになって、

 

この数年の自粛生活が、

いろいろと炙り出したのも、

あるんだろうけど、

 

一つ一つは、

気にするまでもないようなレベルのことも、

時とともに、

少しづつ積もってきたものに、

我慢ができなくなっているとか、

 

広く世の中に潜む、

無意識な部分に隠れている、

根本的な問題の存在も、

感じるのだ。

 

旦那さんがリモートで家にいる。

まぁ、それは大変ねぇ。

なんてやりとりは、

もはやテンプレート。

 

 

最近、

そういった話題に触れるたびに、

 

うちの息子も、

そのうち結婚とかできた後に、

パートナーに、

同じような事を、

言われるようになるのかな?

 

って、

考えるようになった。

 

 

パパ、ママたちの間に、

こうも広く横たわる溝って、

一体何なんだろう?

 

世のパパのほとんどが、

その母が育てているのだから、

 

原因は母の育て方にある?

 

母は母自身が、

旦那さんの身の回りの世話を、

やって当たり前でやってきているから、

 

無意識に当たり前の子育てをしていたら、

出来上がるのは、

嫁に世話してもらって当然の息子、

ってこと?

 

今ここで、

私が無意識にやっている子育ての中にも、

原因の芽が潜んでいるのかも知れない。

 

当たり前なことが、

きっと危うい。

 

そう思って、

 

何とかできないかな?

 

息子と2人きりの時間に、

話をしてみることにした。

 

 

パパたちだって、

一生懸命やっているつもりなのに、

こう言われてしまうのは、

何でだろうね。

 

わかりやすいところで、

子どもが2人なのに、

うちは子どもが3人いるようなもの。なんて、

パパが子どもの数に、

数えられてしまうようなこと。

 

親がしてくれていた事を、

そのままパートナーが、

当たり前のようにやるもんだと、

疑わずにやらせたら、

 

余裕があるときは、

問題ないかも知れないけど、

そのうち、

私はあんたのママじゃない!!

ってことにだってなる。

 

なんて話をすれば、

 

息子から、

最悪だね。

 

って返事がくる。

 

学校で男女平等の教育を受けて、

「自分のことは自分で」と、

私に仕込まれている息子は、

自分はそんな風にはならない。

という自信が満ち溢れている。

 

いろいろと好きに意見を出し合って、

 

お互い一人暮らしの気持ちで、

協力できることは協力する。

やってくれたことには感謝。

このくらいの心持ちが、

必要なのかもね。

 

見えない家事に気付けるって、

結構大切。

 

なんて話になった。

 

加えて、

 

好きで一緒にいるんだから、

互いの得手不得手に合わせて、

得意なことは任せて!

お互い苦手なことはどうしよっか……。

って、相談して分け合うことだってできるはず。

 

協力してやれば、

1人でやるより負担は減るし、

仕事が忙しくて家庭のことまで、

なかなか手が回らないような時期も、

調子の悪い時にも助け合える。

支え合うのが家族の本来の姿なんだからね。

 

何のための結婚?って、

負担ばかりが際立たないように、

ちょっとフォローも入れたりもした。

 

 

食事が終わると、

当たり前にシンクまで、

使った食器を運ぶ息子。

 

「ここからはママの仕事だから、

 今はママがやるけど、

 一人暮らしになったら、

 食器を洗って乾かして片付けるまで、

 やって当たり前なんだからね」

 

「パートナーが、

 やって当然になったら言語道断」

 

「洗剤だって、

 なくなる前に買い足して、

 毎日じゃなくても、

 その周りまで掃除して……」

 

無意識の当たり前の存在に、

息子が気付いて、

あ〜〜〜って顔になる。

 

子どもとしては、

しっかり者でも、

大人のレベルじゃ、

まだまだ若造。

 

まずは、気付いてくれれば、

それで良い。

 

 

こんな会話を1・2度した程度で、

何が変わるかなんてわからない。

 

でも、

 

男子と同じだけの愛情をかけ、

教育を受けた女性が、

結婚や出産を諦めないで、

キャリアを積んでいくためには、

 

パートナーたるべき、

パパの在り方が非常に肝要。

 

パパはパパで、

一生懸命やっているはずなのに、

文句を言われて、

我慢を重ねられた挙句、

もういらないと、

見切りをつけられないためには、

 

将来パパになる男子を育てる、

今母親である私の行動が、

とっても大切なんじゃないかって、

思うのだ。

 

 

息子がこれから、

どんな人を選ぶかなんてわからない。

どんな家族を持つかもわからない。

 

ただ、

心の持ち方一つで、

選択肢を広く持てるようになるのなら、

望んだ幸せを、

着実につかめるように、

 

やれることはやっておきたい。

 

お互い一緒にいたいって、

思えるような人と出会えて、

末永く寄り添い合えるような幸せが、

息子の上にあったら良いなと、

願っている。