娘の証言。
駅から家までの道。
横に人の気配を感じて、
追い抜かすのかと思ったら、
なかなか抜かしてゆかない。
仕方がないので、
わざと速度を遅くして、
先に行ってもらおうとしたら、
その人も速度を弛めて、
だったら、
先に行こうと思って、
はや足にしたら、
同じ速度で追いかけてきた。
とってもこわい思いをした。
パパの証言。
駅を出たところで、
見慣れた後ろ姿を見つけた。
急に声を掛けて驚かせてもあれなので、
自然に気付いてもらおうと思って、
近づいていった。
なかなか気付いてもらえず、
歩調を変則的にしていたので、
露骨に合わせていたら、
振り向きざまに、
すごい顔して睨まれた。
まるでだるまさんがころんだをしているみたいな、
他の人から見たら、
明らかに変な動きの2人だったと、
笑いながら帰ってきた。
うちの父娘のエピソード。
そんな話を聞きながら、
子どもが、
気をつけるべき時に、
きちんと気をつけられるようになるべく、
あれこれと、
心を砕いていた日々を思い出した。
子どもの成長時に、
大切なことの一つが、
人との付き合い方を、
学ぶということ。
幼い時は、
人の存在に気づかせ、
人と一緒に何かをやる楽しさを、
感じてもらって、
人に興味を持つように、
一生懸命働きかけた。
でも、
小学校に通う頃に、
一人で家と学校を行き来するために、
身近に潜む犯罪の存在も、
知らせないといけなくなる。
それまで、
誰とでも仲良くするようにと、
言っていたのに、
一変して、
人を見たら泥棒と思え。
くらいのことを、
教え込むようになる。
悪い人は見た目じゃわからないとか、
知っている人だって危ない事がある。
なんて、
万が一の、
犯罪に巻き込まれないためにも、
きちんと用心深くなれるように、
子どもが少し怯えるくらい、
怖い話も言って聞かせる。
この時も、
ただ脅せば良いわけじゃなくて、
怯えて一人で出かける事を、
極端に嫌がるように、
なってしまってもいけないので、
子どもの性格に合わせて、
ポイントで、
判断できるように、
繰り返し、
さまざまな事例を挙げて、
辛抱強く伝え続ける。
きちんと気をつける事ができれば、
大丈夫。
そう思ってもらえる事が目標だ。
犯罪ももちろんだけど、
気をつけるべきことは、
他にもいろいろあって、
交通ルールだって、
命に関わる大切なこと。
毎日のことで、
周りの誰もがやっていることで、
なんの変哲もない、
当たり前のことなんだけど、
無事に家に帰って来られた時は、
毎回、
大袈裟に喜んで見せた。
どんな想定外な事が起こるかなんて、
わからないのだから、
毎日無事に帰ってきてくれることは、
本当にありがたいことで、
奇跡なのだ。
そう思いながら、
過ごしていることは、
今でも変わらない。
子どもに最初に教えていたこととは、
真逆な事を急に言い出して、
理解を求める。
子どもにとっちゃ大混乱だろうな、
なんて思うようなことも、
生きているといっぱいあって、
我慢して、
ルールを守り、
人に合わせる事の大切さを教えながら、
人に流されすぎずに、
自分を大切にすることも伝える。
ストイックに、
物事を成し遂げる大切さを教えながら、
一つの物事に縛られずに、
柔軟な発想で対応してゆくことの大切さを伝える。
物事には幅があって、
ゆるゆるでやってしまうと、
子どもは楽に逃げてしまうので、
結果が出せずに歯痒い思いをすることになって、
結果を求めて、
他を見ないように、
コントロールしようとすると、
本当にそれで良いのかな?
って、
迷いが生じる。
ニュースを見ながら、
以前は、
良い悪いの白黒を、
はっきりと付けたがっていた、
子どもたちが、
最近は、
人の弱さや、
心の揺らぎなんかも、
理解できているような、
発言に変わってきた。
成長したな。
って思う。
一番最初に教えた一つの道は、
あくまでも代表的なもので、
未来の可能性は無限なのだから、
より良い選択肢を、
選び取るなり、
産み出すなりして、
幸せでいてくれれば、
それで良い。
世の中って、
なかなかに奥深くて面白い。
無常で曖昧なものを、
一緒に味わえるようになったら。
歳の差を超えて、
もっといろいろと同じ時を、
楽しんでいけるんじゃないかって、
期待してしまう。