パパの実家は、
飛行機で行き来する距離。
そうしょっちゅうは会えないので、
電話でのやりとりが、
コミュニケーションの中心。
子どもたちが幼い頃は、
孫の顔も見たかろうと、
月に1〜2度、
テレビ電話なんかを使って、
孫の顔を見せてきた。
祖父母は揃って、
褒め上手なので、
子どもたちが何を言っても、
ものすごく褒めてくれて、
喜んでくれる。
だから、
子どもたちも、
どんどんと褒めてもらおうと、
学校や習い事で、
あれをやっただ、
これができるようになっただと、
競うように報告する。
そんなある時、
別件で、
私が電話をした際に、
孫たちが、
揃ってすごくよくできた子たちで、
将来が楽しみ。
と言われて、
ものすごくあせった。
たまの電話で、
子どもたちがこぞって、
できることばかりを報告するので、
ものすごくよくできた、
孫のイメージを与えてしまっていることに、
気付いたからだ。
慌てて、
現実との補正を試みる。
「あれこれと、
いろいろ頑張ってはいても、
悩みの方が多くて、
なんとか、
人並みに育ってくれることが、
うちの目標なんです」
申し訳ないけど、
期待しすぎないで欲しい。
と願いを込めて、
説明した。
それを聞いていた義母が、
少し黙って、
こう言った。
「子育てなんて、
3人いたって、
思い通りにいく子なんていなくて、
そんなもんよね。
でも、
みんな元気だから、
それで良いのよ」
義母も3人子育てを、
されてきたので、
きっと、
道半ばの私以上に、
現実がわかってる。
そんな経験者の口から、
あっさりと、
「そんなもん」
って言われたものだから、
いろいろなことで、
一杯一杯だった私には、
その言葉がスッと刺さった。
この言葉を聞いて、
最初に感じたのは、
義母にも、
壮大な夢と希望を持って、
子育てに邁進していた日々があって、
傍目には3人の子どもを、
立派に育て上げたように見えても、
心のうちでは、
思い通りにいかずに、
悩んだ日々や、
我慢の日々の記憶があって、
もっとこうなると思っていたのにと、
何かを諦めてきたことも、
あるのかも知れない。
ということ。
子育てがうまくいかないことや、
親があれこれと悩むことなんて、
ごくありふれた、
一般的なこと。
私の、
思う通りにいかない子育ても、
一般的なありふれたことで、
「そんなもん」なのだ。
でも一方で、
人から見たら、
一生懸命取り組んで、
そこそこちゃんと、
子どもが育っていて、
元気で大きくなれている分だけ、
まだ成功している部類に入っている。
本当に大切なことは、
そこにあるから、
それは見失わないで。
そんな気持ちで私に寄り添ってくれて、
出た言葉なんじゃないか。
そう感じた。
言われた通り、
うちは3人とも、
おかげさまで元気で、
人のために動けたり、
明るく人の輪に入っていけたりと、
良いところだっていっぱいある。
そうあるように、
想いを込めて育ててきて、
叶っているところが確かにあるのだから、
今まで一生懸命やってきた結果としては、
思い通りにいかないことは多々あれど、
そんなに悪い部類でもない、
「そんなもん」なのだ。
親として、
子どものより良い将来を見据えて、
ついつい、
あれもこれもと、
子どもに足りないところに、
目が行きがち。
でも、
これまでやってきて、
報われている部分は、
ちゃんとあるのだから、
そこはきちんと認めよう。
そう思わせてくれて、
「元気だから良い」と、
これまでの私の奮闘も認めてくれて……。
私の完璧でない子育てを、
支えてくれている、
大切な言葉になった。